ドブネズミルック、これは日本のオジサンを代表するファッションスタイルだろう。中高年でネズミ色のややくたびれたスーツを着て、会社帰りに肩を落として駅に向かう。まっすぐ家に帰れないので、ガード下で一杯同僚と引っ掛けて仕事のウサを晴らし、千鳥足で家路につくオジサンだ。
少し前までは、このオジサンが若い女性社員にセクハラめいたことをいってひんしゅくを買うということもありがちだった。ダンディとは程遠く、とてもイケてるとはいい難いのが一般的な中高年サラリーマン男性であった。
しかしながら、日本人男性は昔からそうだったのか、昔から一貫してくたびれた中高年だったのだろうか。
実は、そもそも日本人男性は戦前まではダンディだった。少なくともダンディでありたいという精神は持っていたといっていい。その象徴ともいえるのは戦前に流行った白いスーツとパナマ帽だ。特に夏場は戦前のことでクーラーもなく、白いスーツが相手からも好感を持たれたのだろう。
この白いスーツは、ごく一部の中高年ではなく、当時の会社員の多くにも流行っていたとみられる。今に続く交詢社等、戦前にはある一定の条件を満たした男性だけが入れるクラブがあり、そこで、ウィスキーをたしなみ、トランプやビリヤードに興じていた。
まさにそこには「大人文化」があったのである。白いスーツの流行は、その特定層だけではなく、比較的広い範囲にそうした大人のたしなみを知り、ダンディでありたいという気持ちが広がっていたとみることができる。
時代をさらにさかのぼれば、そもそも日本では、江戸時代にも「粋(いき)」という言葉があり、町人の間では「粋な男」であることが良しとされていた。
武士においても正装としての羽織袴といった、それはそれで日本人男性らしいダンディズムがあったわけだが、公にその必要性があったわけでもない町人の間にも「粋」があったということは、精神としてのダンディズムが広くそこにあったことを意味しているだろう。
また、戦前戦後のダンディズムの代表者の一人といえる白洲次郎が、戦前ある会社の役員だった時に、取引先へ白いスーツで行きそこでトラブルがあり、怒った相手にその白いスーツにインクを投げかけられたという。
やむを得ずそのスーツで帰社すると、なんとそこにテーラーが待っていたそうだ。そのインクを投げつけた相手先が@流石¥さすが$にこのままではイカンと思い、気をきかしてすぐテーラーに連絡して待たせていたというのである。
つまり日本人男性のダンディズムというのは、単なるファッションにとどまらず、こうした「粋」にもつながる精神にあったのではないだろうか。
では、なぜ戦前までは確かにあったダンディズムが、今になってくたびれた中高年のオジサンになってしまったのか。日本人男性に脈々と受け継がれてきたダンディズムを粉々に崩壊してしまったのが、太平洋戦争の敗戦といえるだろう。
肉親や親しい友を亡くすという辛い状態に多くの日本人が置かれた上に、敗北を喫した戦渦のなかで、日本人としてのプライドも飛び散ってしまった。多くの人たちが茫然自失に陥った。
そのゼロの状態から戦後復興が始まった。日本人の勤勉さが発揮され、ほどなく戦後復興に一丸となって努力し始めた。戦時中の「滅私報国」が今度は「滅私報公」に変わり、「お国のため」から「会社のため」が始まった。
戦後復興期からスーツはサラリーマンの制服であり、ドブネズミルックで復興から経済成長にまい進ということになった。「オシャレに心を奪われるのは男の恥」というような社会通念も生まれ、男はそんなことに心を奪われないで勉強をしろ、仕事を真面目にやれ、というようなことも学校や家庭でよくいわれた。
そのドブネズミルックで朝から夕方まで仕事に精を出し、その後は会社の上司同僚に半強制的に夜の飲みに付き合わされ二軒三軒はしごして深夜帰宅。翌朝はまた出勤ということで、妻といるより、上司同僚といる時間の方がはるかに長いという日本人の典型的なサラリーマン像ができあがった。
そのなかでは上司とのコミュニケーションが最重要であり、いわゆるゴマスリ男が生まれた所以(ゆえん)でもある。
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以上、博報堂「新しい大人文化研究所」の近刊『イケてる大人 イケてない大人』(光文社新書)より引用しました。