天気予報を超える異常気象が相次ぐ昨今。自然の猛威は過疎化が進む集落に予想外の被害をもたらす。高齢化も、被害を最小限にとどめる対策をとることを難しくする。そんな二重のハンディを逆手にとって、災害に強い集落をつくってきた村がある。そこにはお金やモノがなくても、安心して生きられる、これからの日本人に必要な知恵があったーー。
14日から降り続いた110センチもの記録的な大雪で、村に通じるルートが遮断され「陸の孤島」と化した群馬県の南牧村。65歳以上の人口割合が57.5%で日本一高齢化率が高いことでも知られる。
19日午後、役場もある中心街の大日向地区からさらに3キロの村人が「枝」と呼ぶ脇道に入った場所にある六車地区。除雪後、ようやく足を踏み入れることができた、白一色の急な坂道の上に小金沢いねさん(80)は暮らしている。いねさんは、昭和32年にこの村に嫁いだ。子供たちが独立して、17年前に夫を胃がんで亡くしてからは、ずっと一人暮らしだ。
「14日の夕方、雪が降り始めたと思って、玄関の前をいつものように雪掃きして寝て、翌15日の早朝に目覚めて玄関を開けたら、もう腰までの積雪で、たまげるばかりでしたよ。こんなことは80年生きて初めてだった」
そう話しながら、いねさんは次々に自分の畑で作ったという野菜を加工したおいしそうな食品を並べてくれる。雪で孤立し、食べるものに困窮する被災者の姿はそこにはない。
「私らは、ふだんから自分の食べる分は自分で畑で作ってます。さつまいも、ねぎ、小豆、大根。多めに作って、近所にもお裾分けするの。近所の人も、余ったものを分けてくれる。若い人は大雪のときにはお返しに雪かきをしてくれます」
そう言って、玄関から続く1本の道幅50センチほどの雪の回廊を指した。
「すぐ上に暮らす50代の民生委員の夫婦や、地区の“見守りさん”が、ああやって雪掃きして、私が通れるだけの道も15日のうちに作ってくれました」
65歳以上のすべての人に、2人の近隣の住民がふだんから目を配るという南牧村特有の見守り制度。村人は、その制度と担当者を親愛を込めて「見守りさん」と呼ぶ。こうした地域の目に、いねさんだけでなく多くの高齢者が支えられ、今度の大雪という思いがけない災害に耐えていた。そして、住民は自給自足が原則の村の、古くから助け合う伝統にも支えられていた。
3世代で暮す石井ファミリーの祖父の武男さん(73)は言う。
「ここいらの年寄りは、元気なんだよ。俺ら70代だって若い若い、青年扱いですよ(笑)。自給自足するには、自分で体を動かさないと畑ができないでしょう。だから、互いが助け合うんですよ。ここは高齢化率日本一というけど、便利さを考えても、高速道路の入口まで15分と近いし、“余裕ある過疎”なんです」
一人一人が自立し、互いに思いやりのある行動をすること。ふだんから当たり前のようにしていた生活が、災害への最良の備えとなったのだ。
こうした地域の人の支えもあり、除雪も進み、孤立世帯はどんどん減少。15日にほぼ全世帯2,298人だったのが、16日には221世帯372人、18には43世帯70人になり、20日では星尾と熊倉の2地区の1世帯ずつが残るのみとなった。役場によれば、ここも23日までには復旧できる見込み。
さらに20日午前7時10分には、3人の高校生を乗せた村営バスが4日ぶりに南牧村からスタートした。少しずつだが、確実に復旧は進んでいる。