■新婚旅行で訪れたラスベガスでギャンブル熱が再炎上
しかし、一時はやめられても、「やめ続ける」ことが困難なのがギャンブル依存症のこわいところ。挙式と新婚旅行をかねて訪れたラスベガスで、2人は再びギャンブルに興じてしまう。
「カジノに夢中になるあまり、挙式も観光もすっぽかしてしまって。そのとき作った借金は50万円でしたが、以前よりは少なく済んだね、なんて2人で笑い合うほど」
’00年に長女、’01年に長男を出産したことで、田中さんはギャンブルから遠ざかることができた。
「私は子育てしながら働いていましたし、夫もIT企業に勤めながら、家事も子育ても手伝ってくれていました。出かけるときはいつも一緒。だから当然、夫もギャンブルから足を洗ってくれたんだ、と思っていたんです」
ところが、そんな信頼はもろくも砕け散る。
「’04年1月27日のことです。通帳記入をしたら30万円近くのお金が引き落とされていました。夫を問い詰めると、〈実はギャンブルの借金が280万円ある〉と。もうダメだ、もうこれ以上は尻拭いできない、と怒りが爆発したんです」
じつは、結婚直後にも、夫のギャンブルによる数百万円の借金が発覚。田中さんがすべて返済したことがあったのだ。
「ふだんはよき夫、よき父親なのに、なぜギャンブルがやめられないのか。二重人格じゃないか、と疑ったほどです」
田中さんは四六時中、夫を責め立てた。ある日、満員の通勤電車の中で、〈あんたは病気! 死ななきゃ治らない病気よ!〉と、いつものように夫を責めた田中さん。
「すると夫は、〈そうだ俺は病気だ。自分じゃやめられない。助けてくれ!〉と、人目もはばからず、おいおい泣きだしたんです」
その様子に驚いた田中さんは、わらにもすがる思いで〈ギャンブル〉〈借金〉などとネット検索したところ、ギャンブル依存症の人が書いているブログがヒットした。
「夫と共に、そのブログで紹介されていた心療内科を訪ねたら、〈ご主人はギャンブル依存症です。奥さん、あなたも特定の相手に過剰に依存する“共依存”という病気ですよ〉と診断されて……」
当時、田中さんの心の中には、借金をする夫は許せないのに、〈夫を助けられるのは私しかいない〉〈夫の借金を肩代わりすることで私の存在価値が認められる〉と、どこか喜ぶ気持ちがあったという。しかし、それが“共依存”だと気づくのは、後述する自助グループに入ってからのことだった。
「そのときは、よくわかりませんでした。私が夫に依存しているなんて思ってもいないし、夫は大卒で、仕事も優秀にこなしているのに、なぜギャンブル依存症なの? と。だから私、〈大学出のビジネスマンでもギャンブル依存症になるんですか?〉と馬鹿な質問をしてしまって。そしたら、〈東大出の官僚でもなりますよ〉と言われて目から鱗が落ちる思いでした」
その診療内科で紹介されたのが、ギャンブル依存症の当事者や家族が定期的に集まって経験を共有し、困難を分かち合う“自助グループ”だった。田中さんは、自助グループのメンバーと話をするうちに、「夫を愛しているのでやり直したい」と泣き崩れたという。
そして、「夫を思うがゆえに、夫の行動を制限したり借金を肩代わりしたりすることは、むしろ回復を遅らせる誤った方法だ」ということに気づく。
「だから今回の事件で、大谷選手が水原さんの借金を肩代わりしなかったのは本当に正しい決断だったと思います」
■絶対にお金は出さない! 突き放すことで再生の道が
自助グループに通いながらも、一時期は、「自分がこうなってしまったのは、ギャンブルばかりしている家で自分を育てた母親のせい」と母を恨むように。また、そんな自分がみじめで買い物依存症になり、再び数百万円の借金を作ってしまったという田中さん。さらに’08年、またしても夫にギャンブルの借金があることが発覚する。今度は、自宅を抵当に入れて800万円も借りていた。
田中さんはもう動じなかった。
「『あなたの借金で私の人生が脅かされることはない。絶対にお金は出しません』と突っぱねました」
夫は現在IT会社の社長として、ギャンブル依存症から回復した人々を雇うなどして、自身の社会的使命を果たしているという。こうした体験を踏まえて、改めて水原容疑者をはじめ、ギャンブル依存症で苦しんでいる人々にエールを送る。
「犯した罪を償ったあとは、つらい経験をプラスに変えてほしい。その経験は、必ずギャンブル依存症に苦しむほかの人たちの役に立つのですから」