自然壕「チビチリガマ」での慰霊祭で、ガマの中に設けられた祭壇に手を合わせる與那覇徳市さん(手前)ら遺族=4日午後、読谷村(代表撮影) 画像を見る

 

【読谷】沖縄戦で米軍の本島上陸直後の1945年4月2日に住民83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平の自然壕チビチリガマで4日、遺族会による慰霊祭が行われた。生存者の上地竹さんや遺族、関係者ら25人はガマの中で線香を立て、75年前の惨劇で失った肉親を思い静かに手を合わせた。

 

今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、遺族と関係者のみで行われ、参列者はマスクを着用した。

 

母方の祖父母やきょうだいを亡くした與那覇徳市さん(77)=村渡慶次=は線香をあげた後、祭壇に向かいうちなーぐちで語り掛けた。戦後75年たった今も「沖縄の海も空も陸も全部アメリカーのもの。黙っていては平和は来ない」と力強く語り、「(チビチリガマで)犠牲になった悔しさや無念を我々が受け継ぎ、二度とあの悲劇を起こさせない」と誓った。

 

慰霊祭の終了後、取材に応じた遺族会の與那覇徳雄会長(65)は、今回初めて参加した遺族がいたことを明かした。高齢化が進み、後世への継承に課題も残るが「平和をつなぐことが(遺族会の)大きな役目。慰霊祭を継続したい」と強調。「命の尊さを学べる場所として、これからも多くの人にチビチリガマに足を運んでもらいたい」と訴えた。

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