羽生結弦「お説教ばかりしていた」最初の恩師明かすやんちゃすぎる幼少期
画像を見る 7歳の羽生と山田さんの2ショット

 

■「足が痛いんだもん」とコーチにウソを…

 

いまのずば抜けた表現力の原点を感じさせるこんなエピソードも。

 

「私が指示したことをちゃんとやったか聞くと『やった』と。『やってないでしょ』と責めたら『だって、足が痛いんだもん』なんてウソを言って、痛くて痛くてしょうがないみたいなフリをするんですよ(笑)。今考えるとかわいいですよね、当時は腹が立ちましたけど(笑)。でもそんな演技力が今、いい方向に生きていると思います」

 

山田さんとの出会いがなければ今の羽生はいないのではないか。そう問いかけると、「そんなことはない」と首を振る。

 

「ターニングポイントは都築先生です。そこは絶対だと思います」

 

羽生が小学2年生のとき、山田さんは家庭の事情で故郷の北海道へ戻ることに。仙台を離れるときに、自らの恩師であり、名コーチとして知られる都築章一郎さん(83)に自分の生徒たちのために仙台に来てくれるよう頼んだ。

 

「都築先生に一人一人生徒を紹介したときに、“結弦はたぶん、すごくなる。都築先生が怒鳴ったりすると、このコはやめちゃうから絶対に怒らないでね”と言いました。都築先生は笑ってましたけど、本当に私は念を押しましたね。

 

厳しい先生ですけれども、トップに導く先生であることも知っていたので、先生のもとで開花するといいなと思って託しました。タイミングもよかったと思います。私のもとだったら花は咲かなかったはず。結弦はいい指導者にどんどん巡り合えたと思います」

【関連画像】

関連カテゴリー: