「おかあさんに相談があるんですが聞いてくれますか?」と尋ねてきたのは、埼玉県から来た38歳の男性。カバンの中には3年前の年末ジャンボ3億円の当せん証書が入っていた。
ここは北海道旭川市の『堂前宝くじ店』。宝くじ販売歴61年、83歳の堂前輝子さんの店だ。平成になってからだけでも36本(総額59億円)の『億』を出し、30人以上の宝くじ1等当せん確認に立ち会ってきた。これほど多くの億万長者と会った人は日本で彼女だけ。大当たりが出れば、いっしょに喜び、一緒に泣く。そんな”おかあさん”と呼ばれる輝子さんの人柄が、これほど多くの『億』を招くパワーの源なのかもしれない。
「埼玉から来た彼は『2千万円で家を買い、あとはどうしよう……』と言うので『上手に使わないと、すぐになくなってしまうよ』と話しました。すると『はじめて人に話せただけで心が軽くなりました。残りは貯金して計画的に使います』って。安心しました」(輝子さん)
宝くじを売り始めて2年後、北海道で1本しかなかった1等100万円が、突然飛び出したのが伝説の始まりだった。’76年の年末には早朝、宝くじを買い求める5千人の列が売り場を何重にも取り囲み、警察官30人が整理に駆けつける騒ぎにも。ここでは、当たりの数だけ多くのドラマが生まれた。
「’75年でしたか、建設会社の社長が必死の形相で当せん確認に来たんです。800万円の負債を抱えて倒産寸前。これがハズレたらもうダメだって。私が番号を調べたら、1等1千万円が当たってました。社長さんは万歳を連呼。私もつられて万歳三唱(笑)」(輝子さん)
また藁にもすがる思いで売り場に並んでいたという女性に、年末ジャンボで1等1億3千万円が当たったことも。
「その方は離婚したばかりでした。しかも2人の子どもを抱えての生活で、とても不安だったのでしょう。当せんがわかったときは、2人で抱き合って泣きました」(輝子さん)
そんな輝子さんが61年間、変わらずにやっていることがある。多くの売り場が『10枚ずつ袋詰めされたもの』を仕入れて販売しているが、輝子さんはいまでも自分で袋に入れる。年末は、この作業だけで1カ月ほどかかるという。
「私がこの手で詰めたものじゃないとお客さんが納得しないから(笑)。でも売るようになってから、自分では1枚も買ってないの。”私の運”は買ってくれた人に分けてあげたいでしょう」(輝子さん)