宝くじ売り場の販売員というと、女性のイメージが強いが、もちろん男性も活躍している。そんな中、長年、「億」を出し続ける3人の大ベテランがいるのをご存じだろうか。

 

’00年からの15年で22億円を出している、東京都「浅草橋東口駅前売場」の森秀夫さん(84)、同じく28億円の東京都「宝くじ御徒町駅前センター」の中野徳治さん(74)、そして60億円の静岡県「マスミ」の中村紀雄さん(74)の3人だ。

 

そんな、レジェンド3爺が話す“億を当てる宝くじ哲学”とは? 本誌は敬意をこめ、彼らを「秀じい」「徳じい」「紀じい」と呼ばせていただこう。

 

’14年5月、本誌が森さんを「秀じい」と命名したところ、人気爆発。サマージャンボでは最長4時間の行列ができたという「浅草橋東口駅前売場」の秀じいは、’46年から宝くじを売っている。年末ジャンボでは、サンタクロースの衣装で販売する姿が地元の風物詩。

 

「最初に私から買って、1等10万円(現在の物価で5千万円ほど)を当てたのは、売り場脇のガード下で喫茶店をやっていた老夫婦でしたねえ。私は、宝くじは縁だと思う。売り場を通りかかって、販売員と目が合うことがあるでしょ。あれがサイン。先日も50代くらいのご婦人から『駅の階段を下りてきたら、おじさんとパッと目が合って。思わず買ったら3千万円当たったのよ』って」(秀じい)

 

お次は「宝くじ御徒町駅前センター」の徳じい。アメ横入口にあるこの売り場は元アクセサリー店で、徳じいは15年前までそのオーナーだった。しかし売れ行きが思わしくなく、’00年に思い切って宝くじ売り場に転身。今では16人の億万長者が誕生する都内屈指の売り場になった。

 

「以前、年末ジャンボの売り出し中、閉店間際に近所で働いている20代の男性が買いに来て。10枚入りの袋を10袋、扇状に開いて『どれにする?』と聞いたら『おじちゃんに任せるよ』と。3袋、選んで渡したら、そこに2等1億円が入っていたんです。当せん金で実家の借金を返すと、挨拶にみえました。せっかく『ここは当たりそう』と思って窓口に来るんですから、あとは販売員の運に任せるのもコツですね」(徳じい)

 

最後は、静岡県浜松市「マスミ」の紀じい。中学2年で父が亡くなり、母・しづさんが女手ひとつで毛糸店を切り盛りしながら、紀じいら3人の子を育てた。’52年から、宝くじ販売も始めたが片手間ゆえか、大当たりは1度もなかった。

 

「その母が亡くなった直後でした。常連さんから『100万円当たったからお礼』と1万円いただいて。それがうちの初大当たりだったんですわ」(紀じい)

 

その1万円で、紀じいは木彫りの布袋様を購入。店頭に飾った。すると’86年年末での1等8千万円以来、ほぼ毎年、ジャンボ長者が誕生。その数、53人。’13年には初の10億円BIG1等まで出て、地元は大騒ぎだったという。

 

「私自身、母が亡くなったころがどん底で、そこから宝くじに救われたようなもの。出続ける1等は母の置き土産と思い、ジャンボ前に墓参りを欠かしたことはないです。宝くじの女神は本当に困っている人の上にほほ笑む。困ったときこそ、買ってみるもんだがね」(同)

 

宝くじの悲喜こもごもを目の当たりにしてきた3人ゆえの“金言”。ぜひ年末ジャンボで生かしてみたらいかが?

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