創刊60周年の節目の年を迎えた『女性自身』。60年にわたる歴史のなかで、華やかに誌面を飾ってくれたスターや、女性の新しい生き方を提示してくれた有名人を再訪。“『女性自身』と私”の思い出を語ってもらいました!
「私が大統領夫人になったと実感したのは、外国で飛行機を降りると、空港に赤いじゅうたんが敷きつめてあり、お迎えの人たちが行列をなしているのを見た瞬間でした」
創刊当時から現在まで、幾度となく本誌に登場してくれているデヴィ夫人(78)が、インドネシアのスカルノ大統領と結婚し、インドネシア国籍となったのが’62年。一般市民から、突然、大統領夫人になるというシンデレラストーリーに日本中が沸いた。
やがて、パリはじめ世界の社交界で「東洋の真珠」と称された夫人の評判が、『女性自身』はじめマスコミを通じて日本にも届く。
「パリに行ったときは、フランスの社交界で必要な名声、地位、財力、個性のすべてを兼ね備えていたので、私は水を得た魚のようでした」
しかし結婚から3年。インドネシアで起きた、状況が二転三転した軍事クーデターで、夫のスカルノ大統領が徐々に失脚、夫人は、命の危険にさらされながら、故国・日本へ、そしてパリに亡命。
「大統領夫人ではなくなったと感じたのは、飛行機を降りたときに、あの赤いじゅうたんがなかったこと。“ああ、私は普通の人になったんだ”と痛感させられました。今はもう慣れましたけどね」
やがて時代は昭和から平成に変わり、デヴィ夫人は日本の芸能界で、その華やかさと直截な発言で存在感を増していく。
「その前はニューヨーク生活でしたから、平成は途中からしか知らないけれども、日本がすさまじく伸びた30年間だと思います。電話だって、こんなに(スマホを掲げて)小さくなったし(笑)」
いま、いちばん気になるのは、日本における家族の関係という。
「最近の日本は核家族化がどんどん進んで、孤独死も増えていますし、隣の家で人が死んでいてもわからないような社会。また、子どもたちの世代では『親の面倒を見るのは面倒くさい』などという声もある。これは、とんでもないことですし、揚げ句に、乳児や幼児虐待死、親殺し、子殺しとは最低です。みんなが利己主義になりすぎている。アメリカでは家族がドライに離れているようでも、実はいつも電話で話していたり、コミュニケーションを取り合っています。日本でも親子3代で楽しめたり、語り合える何かがあるはず。それを考え直す時期に来ています」
そんななかでの救いは、女性の元気さだという。
「自立している女性が多いのは、自分で自分の面倒を見られるということでしょう。そのためにも、よく働き、よく遊ぶことが大事。働くのと同じ分量で遊ぶこと。やっぱり人間は、楽しいことがなければダメ。私は今も十分に遊んでいます」
一貫して変わらぬ生きざまは、今後も多くの注目を集め続けるに違いない。
「私は隠すものは何もないから。自分に自信と誇りを持っているし、嘘つく必要もないから、正々堂々としていられるのです」