「先日じぃじが『里華さん、私はいま本当に幸せだよ』って私の目を見て言ってくれたんです。認知症といっても、何もかもまったくわからないわけではないんです」
そう語り始めるのは90歳の義父を自宅介護する高橋里華さん(47)だ。彼女は’87年、15歳のときに第1回全日本国民的美少女コンテストに入賞。その後60本のCMに出演し、’80年代から’00年代にかけてモデル・女優として活躍した。
そして34歳のとき、いまの夫と結婚した当初から、早くも介護が始まる。実家のある埼玉県へ通い、実の祖父母のケアを担うことになったのだ。
「新婚の夫には申し訳なかったけれど、夕食は作り置きをして週に3回は通うようになりました」
実母と妹は仕事としてヘルパーをしていて多忙なため、主たる介護者は里華さん。糖尿病が悪化して人工透析を受ける祖母と、がんを患い悲観する祖父と向き合った。
「祖父は夜中に短刀を自分自身に突きつけていることがありました。必死になだめて……。祖父母のときは経験が浅かったので悔やまれることが多いです」
そして’11年から義父母との同居が始まる。
「夫は次男なので、結婚前は介護が回ってくるとは思わなかった」と言う里華さんだが、もともと義父母とは良好な関係。長女はまだ1歳に満たなかったが、「同居したい」との申し出があったとき、『この義父母となら一緒に暮らせそう』とすんなりと承諾。
「義父母は持病を抱えて心配でしたし、そのころ起こった東日本大震災もきっかけになりました」
同居するとすぐに、里華さんが義父母の通院の付き添いと家事全般を担うことに。義母は料理、義父は掃除に関して、それぞれ譲れないルールがあり、里華さんは何度もダメ出しをされてしまう。
「耐えられなくなり、1年で家出しました。夫は私の味方につこうと義父母に対して強い口調で怒ったり。それはそれでつらくて、真剣に夫との離婚も考えました」
しかし、家を出て2週間もたつと「どうしているか心配になってきた」という里華さん。転がり込んだ先の妹からは「高齢者ってそんなものだよ」と諭された。思案した末、家に戻って一念発起する。
「2人のやり方を教えてください、と。どうすればいいのかリクエストを聴きました」
きれい好きの義父からは、徹底して掃除の仕方を教わり、料理上手な義母からは、だしの取り方から味付け、段取りまでそのすべてを伝授してもらった。
「料理はほぼ義父母の好みどおりの味になったころ『ありがとう』とねぎらいの言葉をもらえました」
こうしてようやく“義父母流”が板についてきたころ、義父の物忘れが激しくなる。
「最初は年相応なのかなと思いましたが、温厚な義父にはありえない暴言を吐くようなことが増えて。義母に促され、受診しました」
脳神経外科ではレビー型認知症と診断された。その後悪化していったのは、肝硬変を患っていた義母が’17年に他界したころからだ。
「『ばぁさんどこへ行ったんだ』と探すのです。『ばぁばは亡くなったでしょう』と告げると、悲しい顔をして。時がたつとまた探すことの繰り返し。つらかったですが、認知症といってもごまかすことはしないと決めて向き合っています」
義母の看取りでは「酸素吸入をせず、管もつけずに逝かせてね」という本人の意志を尊重することができた。そして、ギリギリまで自宅で過ごし、最後の食事は里華さんのこしらえた懐かしい郷土料理を、義母に食べてもらえたことを誇りにも感じているそうだ。
どうしてそこまでできるの? という質問をされることがあるというが、「何かを工夫して、克服していく先にある達成感が好きなんです。達成感フェチといっていいくらいですね」と里華さん。
実の祖父母にしてあげられなかったことがいまできていると実感できるのもうれしい、と目を輝かせる。