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コロナウイルス感染拡大でぬぐい去れない収入減への不安……。そんなときは“お金がなくても幸せ”を体験済みの先輩たちに知恵を拝借しましょう。すぐに収入を増やすことは難しいけれど、「すべては気の持ちよう!」と思えたら、しめたものですーー。

 

2人が現れただけで、その場がパアァッと明るくなる。かつみ・さゆりといえば、お笑い界で一、二を争うおしどり夫婦だ。

 

今年で結婚25年目になるが、当初はかつみさん(57)が信用取引で背負った2億円の借金返済に加え、かつみさんの実父がのこした10億円の負債を相続しかけるなど、まさに綱渡りの連続だったという。

 

「借金って、覚悟してするというより、ある日突然、降りかかることが多いんです。僕は株の取引で、25歳から3年間で3億を稼いで、それがバブル崩壊でまたたく間に2億円のマイナスに転じて。でも、それくらいならまた一発逆転で返せる自信があったので、自己破産という選択肢はありませんでしたね」

 

さゆりさん(50)も、そのエピソードを“なれそめ”として振り返る。

 

「共演したときに、当時はいつもクールだったかつみさんが、『どないかなりませんか!』って血相を変えて電話しているところに居合わせてしまって。聞けば、急に借金を抱えることになったと。彼の人生はどん底だったはずなのに、でも、前向きな話しかしはらない。今が底なら、あとは上がるだけだから、この人についていこうと思ったんです」

 

その後、夫妻は大借金を減らそうと奮闘。クワガタの養殖や100円ショップ、ラーメン店の出店などの副業に手を出し……しかし、そのたびに失敗を重ねるエピソードをネタにしてきた。

 

「あのとき“どん底”だと思っていたら、もっと底があって“二重底”で、さらに数年後には“底なし”だと気づくんですが(笑)。でも彼は、『事故に遭遇するはずだったのが、この失敗で厄払いできたんやと思う』と、ずっとずっと前向きなんです」

 

それにしても、さゆりさんがここまでかつみさんについていけるのはなぜなのだろう。

 

「’95年の阪神・淡路大震災で、神戸市長田区にあった実家が被災したんです。私は偶然、かつみさんが懸賞で当てたパリ旅行へと出かけていて、難を逃れたんですが……家族の無事が確認できるまでの3日間で悟りました。大切な人が生きていれば、あとは何もいらないって。パリに誘ってもらっていなければ、私の部屋はつぶれていて、私もどうなっていたか……」

 

一方のかつみさんは“3番目のめかけの子”と言われて育った。

 

「生まれてきただけでボロクソ言われて、ずっとアウェイな状態やったから。今の自分は、もうけもの。元気はなくても、家がある、嫁はんもおる。今あるものだけを数えるんです。今こそ、大切な人と仲よくしてほしい。僕らは、5枚入りのガムをまずは2枚ずつ分けて、最後の1枚も半分にしようなって。その半分は、大きいほうを相手にあげよう、思ってます」

 

「女性自身」2020年5月26日号 掲載

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