ギャンブル依存症当事者・家族の支援に力を入れる田中紀子さん 画像を見る

63億円も負けるなんて……。日本中を震撼させた水原容疑者。祖父、父、夫、そして自分もギャンブル依存症だったという田中さんに、その人生を振り返っていただいた。

 

「私もかつては、夫とともにギャンブルに依存する、いわゆる“ギャン妻”でした。数千万円の借金を抱えて返済に追われていたので、水原さんの苦しかった気持ちもよくわかるんです」

 

そう思いを語るのは、’14年に「ギャンブル依存症問題を考える会」を立ち上げた、代表の田中紀子さん(59)。

 

MLB・ドジャース所属の大谷翔平選手(29)の専属通訳だった水原一平容疑者(39)が、違法賭博の借金返済のため、大谷選手の口座から無断で約24億円を送金していたとされる問題で、改めて“ギャンブル依存症”に関心が寄せられている。厚生労働省の調査によると、日本国内でも約320万人のギャンブル依存症と疑われる人がいるという。

 

「ギャンブル依存症の背景には、生活環境などがあると言われています。私も父と母方の祖父がギャンブル依存症でした。父は競輪・競馬・競艇などで借金を作り、会社のお金を横領して懲戒解雇されるほどだったんです」

 

父母は、田中さんが3歳のときに離婚。それ以後、母方の実家に移り住んだ。

 

「実家の祖父も、99歳で亡くなる2週間前までパチンコをやるほどのギャンブル好きでした。実家は小さな雑貨店を営んでいたのですが、祖父がいつも店のお金を持ち出すので、ウチはとんでもなく貧乏でケンカが絶えませんでした」

 

自宅には風呂もなく、それが原因で、学校の友達からいじめられたこともあったという。

 

「母も悔しかったんでしょうね。〈いい学校に進学して、公務員になって、いい男を捕まえなさい〉というのが母の口癖でしたから」

 

中学1年生までは成績も優秀で、母の期待に応えようとしていた田中さん。しかし、中学2年生になるころには、期待に沿えない自分を責めるようになっていった。

 

「とにかく貧乏暮らしから抜け出したい一心で、高校・大学時代はバイトに明け暮れました」

 

田中さんは、短大卒業後に就職した百貨店で出会った男性と23歳で1度目の結婚を果たすも7年で離婚。その後、バイト先で出会ったのが、ともにギャンブル依存症問題に取り組んでいる今の夫だ。ただ、彼もまた相当のギャンブル依存症だったようで……。

 

「彼は当時、早稲田大学の6年生。いい会社に就職が決まっていたのですが、卒業試験の日にボートレースに出かけてしまい落第。卒業も就職もパーになってしまい、親から〈もう学費は払わない〉と絶縁状を突きつけられ、バイトをしていたんです」

 

典型的なギャンブル依存症だったが、まだそんな言葉すら知られていない時代。初めて2人で出かけたボートレースで、ふだんは穏やかな彼が「お~ら、まくって行け!」と熱くなる姿を見て、「男らしい!」とほれてしまったのだという。そこから、2人でギャンブルにのめり込んでいくことに。

 

「夜のバイトが終わると、当時、繁華街にあった“闇カジノ”で朝まで過ごし、昼は競艇やオートレースなどに電話で投票するなどギャンブルざんまいでした」

 

次第に借金は増えていったが、当時、昼夜とダブルワークをしていた2人は稼ぎもよかった。

 

「最初は自転車操業でなんとか返済できていたんです。でも、それもきつくなって消費者金融で借りるように」

 

〈負けを取り戻したらキッパリ足を洗おう〉と、ずるずる借金を重ね、多いときは2人で3千万円ほどの借金があったという。そんな過酷な返済生活を3年間続け、すっかり疲れ果ててしまった2人。保険をすべて解約して借金返済にあて、返済のめどもついてきた’99年、2人は入籍する。田中さん34歳のときだった。

 

次ページ >新婚旅行で訪れたラスベガスでギャンブル熱が再炎上

【関連画像】

関連カテゴリー: