海上自衛隊で女性初めての海将になった近藤奈津枝さん(撮影:加治屋誠) 画像を見る

【前編】海上自衛隊で女性初めての“海将”になった近藤奈津枝さん 本誌に明かした「入隊を母に大反対された過去」から続く

 

陸上・海上・航空自衛隊を通じ、女性で初めてトップの階級である“将”になった近藤奈津枝さん(58)。まさにガラスの天井を突き破った近藤さんだが、防衛大学校の卒業生ではなく、中学校の国語の臨時教員からという異色の経歴の持ち主だ。「自衛隊に対する知識もなかった」という女性が、いかにして異例の昇進を成し遂げたのか――。

 

階級が上がれば、それだけ責任も重くなる。仕事をするうえで精神的につらかったこともあるはずだ。そんなとき、近藤さんをいつも助けてくれるのは友人たちだった。

 

「つらいときに友達に長電話をしてしまうのですが、私の友達はみんな電話に出てくれて話を聞いてくれるのです。逆の立場だったら、自分は絶対に電話に出ないと思いますが(笑)」

 

人と人とをつなげることが大好きだという近藤さんの交友関係は、とにかく広い。なかでも異色なのが情報番組『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)などでもおなじみの芸能リポーター・長谷川まさ子さん(61)。

 

「なっちゃん(※近藤さん)は“友達の友達は、みな友達”という人です。私の友人のテレビ局の女性ディレクターの大学時代の同級生に自衛官がいて、その人の友達がなっちゃんでした」

 

独身女性が4人集まった「腐れ縁」というLINEグループのメンバーを中心に、飲み会やゴルフをしているという。

 

「彼女には昭和的なノリがあって、“飲みニケーション”を大事にしているんじゃないでしょうか。よく部下を飲みに誘ったりするようです。自衛隊のクリスマスパーティに招待してくれたときも、なっちゃんは周りに気を使い、部下の子供ともよく遊んでいました。

 

場を盛り上げるのも上手です。スナックでゴールデンボンバーの『女々しくて』を歌ったときは振付も完璧で、お客さんもみんなが拍手喝采でした(笑)」

 

キャンプや海外旅行などにもよく行った。

 

「とってもまめで“旅のしおり”も作ってくれるんですね。《○時に、○○に到着予定。長谷川さんは歩幅が小さいので、みんなより○分遅れて到着予定》とか、ユーモアも忘れないんです」

 

海外のビーチリゾートに遊びに行ったときは、さすがに海上自衛官だと感心することも。

 

「『長谷川さん、沖のほうまで行きましょうよ』と誘ってくるんです。足がつかないし怖いよと断ると、一人でどんどん沖のほうに泳いでいって、米粒みたいに小さくなって、最後は波で見えなくなってしまうんですね」

 

だが、あるときを境に海外旅行には行かなくなった。

 

「あるとき、なっちゃんから『長谷川さん、ごめんなさい。私は自衛隊を辞めるまで、もう海外には行きません』と言われたのです。国内で遊びに行くにも、職場から1~2時間以内の場所しか行けないし行かないとのことでした。それだけ責任が重くなったのでしょうね」

 

お互い独身のため、結婚を話題にすることもあったという。

 

「なっちゃんは『私は(結婚)しますよ』と言っていたけど、真剣にお相手を探しているそぶりは見えませんでした。どうしても仕事を優先してしまっていたのかも。

 

だから、よく『部下はいっぱいいる。家族みたいなもの』と話しています。そんな思いもあるためでしょう、『国を守る、国民を守る、部下を守る、部下の家族を守る』が口癖ですね」

 

このように徹頭徹尾、自衛官となった近藤さんに対し、入隊時は「私はあなたを自衛官にするために大学に行かせたわけじゃない!」と、激しく反対していた母親も、次第に理解を示し、逆に応援してくれるようになった。

 

近藤さんが振り返る。

 

「何がきっかけかはわかりませんが、誰にでも私のことを『世界に羽ばたく自慢のなっちゃん』と言うようになったのです。見ず知らずの人を『ちょっとあがりんさい』と家に招き、居間に飾ってあった制服姿の私と安倍(晋三)元首相の写真を見せて『これがうちのなっちゃん』と、自慢していたそうです。

 

あれだけ反対しておきながら“どの口が言うの?”とも思うのですが、誇りに思ってくれたことは正直うれしいですね」

 

その母は10年ほど前、がんでこの世を去った。当時の勤務地は長崎県佐世保市だったが、2週間に1度くらいのペースで山口県の病院に顔を見せに行った。

 

「でも鎮痛剤などで頭がぼうっとしていて、1日半ぐらい一緒にいても、私のことを理解できないことがありました。それでも『あなた、なっちゃんに似ているわね、なんてかわいいの!』って言ってくれたのですね。あの一言は忘れられません」

 

意識が混濁していても、最後までなっちゃんのことを思っていたのだ。“自慢のなっちゃん”は、人望・判断力・想像力・統率力などが評価され、ついには海将へと昇任することに。

 

「内示を受けたときも“なぜ、女性である私が”とは、まったく思いませんでした。女性というだけでそこまで卑下する必要はありません。どの組織においても、資質や能力、実績、貢献度、影響度などを評価されて地位が与えられるものであって、性別、国籍、民族などの属性で与えられるものではありません」

 

とキッパリと語った。近藤さんを補佐する青木邦夫幕僚長もこう話す。

 

「海将は海上自衛隊でトップの階級で、非常に重い責任を伴うからこそ、近藤総監が選ばれたのだと思います。海将の実力を持った人が“たまたま女性だった”ということです。

 

いっぽうでわれわれの組織は女性に活躍してもらえなければ、組織の存亡にかかわってきます。今回の人事は、キャリアを積んでいる女性自衛官のモチベーションを上げてくれたと思います。

 

さらに近藤総監は大湊地方総監部以外にもファンが多く、着任のときにはお祝いの花がずらりと並んでいました。あれほど多くの花は、見たことがありません」

 

昨年12月23日、大湊地方総監部の大講堂で行われた着任式は、厳粛な雰囲気に包まれていた。約200人もの隊員が整然と並ぶなか、その中央を胸にいくつもの勲章をつけた近藤さんが進み、隊員に向けて敬礼した。

 

その凜々しい姿を、天国の母はきっと『やっぱり、世界に羽ばたく自慢のなっちゃん!』と、誇らしく思ったに違いない。

 

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