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5月某日 北イタリア・パドヴァ

孟浩然の『春眠暁を覚えず』という漢詩をかつて学校で習ったときに「まさに、ズバリその通り!」という気持ちになったのを記憶していますが、この感覚は世界共通のもののようで、ここイタリアでも最近は出会う殆どの人が「毎日なんだか眠くてたまらないんだよね」と口々に漏らしています。

眠いだけではありません。5月になれば「どうもやる気が出ない……。何もしたくない」という怠惰さを覚える人が増えてきます。植物は春の訪れとともに一斉に芽吹き、冬眠していた動物たちも起き上がって動き出すというのに、なぜに人間ばかりが春という空気にここまで打ちのめされてしまうのでしょうか。

例えば、日本では新学期は春に始まりますが、アメリカやヨーロッパ等の国での年度始めは大体9月頃、夏の長期バカンスが終わった後になります。日本も明治時代初期には欧州式に学校の始業も9月や10月だったそうですが、明治16年には既に国の会計制度やら何やらに合わせて4月に改訂されたのだそうです。以前日本に留学していた外国人の友人が「春なんて最も人間として機能しなくなる時期に学業を始めるなんて辛過ぎる」とぼやいていましたが、確かに、暁も覚えられないような時期に、張り切って勉強をしたり、仕事をバリバリやるのは容易な事ではありません。

春に眠たくなってしまう理由というのはいくつかあるらしいのですが、ぽかぽかと暖かくなって「わーい、春だ!」と油断をしていたら、夜は急激に寒くなったりする、あの春独特の温度変化に自律神経が対応できなくなるのが大きな要因の1つのようです。寒いと体には常に緊張モードのスイッチが入っているのに対して、暖かさはリラックスモードを誘発するので、その切り替えがうまくいかないと気持ち的にもやる気がなくなったり、落ち込んだりもするのだそうです。そう考えると、桜が咲いて心地よい陽気で体はすっかり寛ぎリラックスモード全開になっているのに、新学期だ始業だとやたらやる気を奮起させるのは、生理的次元で無理があるのかもしれません。

そしてもう1つ、春の眠さにはメラトニン(睡眠ホルモンとも言われる)の分泌も大きく関わっている、という説があります。我々人間は冬眠こそしませんけども、実は冬の夜の長い間はこのメラトニンが多く分泌されていて、体自体が熊やカエルのように「寒いし、無駄に動かずできれば眠ってよう」モードになっているらしいのです。それが、春になって急に起きている時間が長くなり、やはりここでも自律神経が失調状態を起こす、ということらしいのです。

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猫も春はまったく野生的本能の機能しないダメダメモードになるらしい

先日、イタリアで友人の映画監督が撮った映画の試写へ原稿仕事の合間を縫って出かけた私は、不覚にもやってはいけないことをしてしまいました。外のぽかぽか陽気で温まった体温の人間たちが密集している真っ暗な映画館の、よりによってその友人監督の隣の席っていた私は、あろう事か映画の途中で眠ってしまったのです。終わりの拍手で焦って目を覚ました私は、それは決して眠っていたわけではなく、目を眩し気に細めたり閉じたりしつつ、思慮深く考え込みながら映画を熟視していたフリを繕いましたが、無駄でした。「この椅子、寝心地いいよね」と監督から笑って皮肉を言われた私は、岩のように固まるしかありませんでした。彼はきっと、鼾を漏らさんばかりの私を横目で見ながら「そんなに俺の作品がつまらんかったのか、この野郎」と落胆と憤怒で飽和していたに違いありません。

新学期が始まった学校でも、年度が変わったばかりの職場でも、そのようなうっかり居眠りはできることなら避けたいと、きっと誰しもが思ってはいることでしょう。しかし、うちの猫を見ていても、やはり春はまったく野生的本能の機能しないダメダメモードになるらしく、太陽が当たる場所で日がな一日眠ってばかりいます。猫はおそらくそうやって、意識は春なのに体は冬のままになっている、そのアンバランスさに対しての無理の無い自然調整をしているのでしょう。

ところで、私の暮らすここイタリアでは、今でこそ昔のようにお昼ご飯に2時間かけたりだとか、食後に昼寝をたっぷり取るという習慣は、特に北部や大都市などでは消えつつありますが、それでも私の周りには昼食後に15分や20分の仮眠を取っている人たちがかなりいます。彼らに言わせれば、春の眠気と同じく満腹後の睡魔は逆らっても仕方がないので、本能に従っているだけなんだそうですが、実はこの午後のほんの僅かな昼寝だけで、仕事の効率が大幅に上がるという説があります。

米国のカリフォルニア大学のある調査では、1時間半の昼寝は一晩分の睡眠に値し、強いコーヒーを飲んで無理矢理頑張るよりも20分の昼寝のほうがその後の意識の覚醒に効果的、という研究報告をしています。

確かに私も漫画の原稿最中に居眠りをしてしまうことが度々ありますが、そんな時は、たとえどんなに締め切りが差し迫っていようと、いっそ横になって数十分でも寝たほうがその後は順調に作業ははかどるようです。

孟浩然は『春眠暁を覚えず』の漢詩の中で、春の心地良さと眠たさでうかうかしているうちに花も散ってしまった、という緩い残念感も表現していますが、正直、こんな名文を残せたのも春の睡魔があったからです。春は眠い。眠ってはいけない場でも眠ってしまって然り。とにかく春というのはそういう季節なのですから。

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