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<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>

その頃、母から借りた軽自動車の中では、助手席のシートに背を沈めて額に玉のような汗を滲ませる明美の姿があった。

ほんの10分ほど前に健作を送り出してから、さほども経たない内に異変は起きた。古杉に覆われた参道が突然暗さを増して足元が揺れ始めたのだ。明美は「アッ」と声を漏らして、伸ばした腕の指先も定かではない暗がりの中、不気味に蠢動する参道に何度も足を取られそうになりながら車へと這いずるようにして戻った。そうして、ポケットから取り出した四つの紙包みを大急ぎで車の四隅に配していく。

小さな紙包みを開くと、そこに真っ白い塩の山が現れた。簡便ではあるが、これでちょっとした結界が張れる。そうすれば、盛り塩をした四隅から中へは、悪しきモノどもはすぐには入って来られないはずだ。それでも追い迫ってくる気配に、明美は車中へと逃れ一心に気を巡らした。

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『始まったのぉ』

『これが最後じゃないで。分かっとるやろうが、お前の読み通りじゃ。ここはアレらの棲まいじゃろう』

『婆らがおるけん平気ぞね。後は、あの少々頼りないだんなの話をよう聞いて、銀門と玉の力を借りるんじゃ…』

これまで経験したことの無い強く禍々しい波動に、必死の思いで気を巡らせて対抗する明美の脳裏に二人の声が聞こえていた。その額には瞬く間に汗が吹き出したが、それでも明美は、頼もしい祖母と曾祖母の声に口元を綻ばせていた。

幽囚された魂

「明美、大丈夫か?」

器用に大きな身体を折り曲げて運転席に滑り込んできた健作が、玉のように汗を吹き出しながら瞑目する明美の姿に驚き覗き込んでくる。

「私は大丈夫。…健作は?」

「俺は平気。でも聞いてくれよ、凄いことが起きたんだ…」

「ちょっと待って! 話は後で聞くから、まずはここから脱出しよっ!」

「わかった。車を出せばいいんだよな」

冷め遣らぬ興奮を胸に、駆けるように戻ってきた健作は少し不満だったが、それでも明美の只ならぬ様子に気持ちを鎮めて車を走らせ、助手席の明美が口を開くのを辛抱強く待っていた。

「ごめんね。もう少し、落ち着くまで待って…。…で、どうだった? あ、そのまま運転してて、勝手に探るから…」

やっと口を開いたかと思えばまた黙り込み、助手席から健作のうなじの辺りに右手を伸ばしてきた。「人間の想念が蓄積される」うなじの辺りを、こうして明美は時折触ってくる。別に今更驚くこともなく触らせたまま明美を見ると、いつもと同じく何かを読み込んでいるのだろう、静かに瞑目した瞼が微細に振動している。

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「…やっぱり、思った通りね。…あの三重の塔に彼女は居るわ。でも、どうやればいいのかしら?」

どうやら健作の苦労は報われたらしいが、それでもまた口を閉じてしまった明美が恨めしかった。

「なぁ、考え事の最中に申し訳ないけれど、俺の話も聞いてみないか? 今回の話は、ちょっとした驚きだぜ」

「あ、そうか。ごめん、健作。で、なにがあったの?」

「で、って。なんだか嫌な言い方だなぁ…。ま、いいか。そんなことより、俺にも聞こえたんだよ! あれは絶対に聞こえたんだ。幻聴なんかじゃないな!」

「なにが聞こえたのよ」

「明美のおばあちゃんの声だよ。それに、もう一人居た。きっと、どちらかがおばあちゃんで、もう一人はひいおばあちゃんに違いない…」

やっと話せるからか、それとも健作にとっては全く未知の体験をしたことによる興奮からか、ハンドルを握ったまま弾かれたように一気にしゃべりだした。

「そう、健作にも聞こえたんだ…。で、なんて言ってたの」

「それそれ、その事を明美に伝えなきゃいけないと思って急いで戻って来たんだ。…え~と、なんだっけ? …そうだ、黒玉だ。きっと、あの黒い石の事だ」

「えっ、黒玉がどうしたって?」

祖母と曾祖母の声を聞いたという健作の口から、黒玉という言葉を聞いた途端、盛り塩の結界に守られた母の車の中で聞いた祖母の言葉を思い出した。祖母は、健作の話しを聞くようにと言っていた。

「ええと確か…『後生大事に抱いとりゃええ』って。そう、後生大事に抱いてろってさ。そうすれば『戒めは解ける』とも言ってたな。それにしても、ちゃんと頭の中で聞こえるんだな。正直、少し興奮した。それに、そんな明美のお祖母ちゃんの声が聞こえてから気が付いたんだけど、そういえば俺、ずっと前にも同じような経験してた。まだ俺が中学生の頃なんだけど…」

亡くなった明美の祖母と交信できたことがよほど驚きだったのだろう、まるで子どものように一気にしゃべり始めた健作の横で、すでに明美は耳を閉じていた。そして、何事か見落としているものを探ろうと瞑目し心気を凝らしていた。

玉の浄化作用

その夜から、さっそく明美は黒玉を抱いて眠ることにした。いかにも大切そうに、胸の前で組んだ両の掌に黒玉を抱え込んだ姿が滑稽ではあったが、他にこれといった考えも浮かばないまま「教えられたとおりにしよう」という結論に達したのだ。

普段は黒い羅紗に包んだ黒玉をむき出しにし、漆黒の肌もそのままに掌に包み込み、胸に置いた状態で真言を唱えながら眠る。

翌朝、目覚めた明美に認められた変化といえば…よほど強く握り締めていたのだろう両の掌に、黒玉の表面に施された染料がほんのりと上品な赤味を残していた。しかし、それ以外には特にこれといった変化も無く、そばで心配そうに覗き込んでいた健作は少しガッカリした。それでも明美は特に落胆することもなく、握り締めた掌の中で熱くなったり冷たくなったりする石の感触を楽しんでいる様子だ。ただ厄介なのは、石の持つパワーによるものらしい嘔吐と下痢に悩まされることだった。

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そうして半日はトイレを行ったり来たりしている明美をよそに、健作は父の書斎に籠もったきり食事以外は出てこようとはしなかった。ただ、それでも一日籠もっただけあって、いつものように二つ並べた布団に身体を横たえながらする話し合いでは聞き捨てなら無いことを口にした。

「封印って、まだ解けないんだよなぁ。ま、明美のおばあさんが言う通りにやってみるしか手は無いんだから仕方ないか? でも、大丈夫か? お腹の具合、悪かったんだろう?」

「そうね。…でも平気よ。悪い感じはしないから。って言うより、なんだか身体の中を浄化しているみたいで気持ち良いのよね。だから大丈夫、気にしないで。それよりも健作は、なにかわかった?」

普段から明美は、明美自身が時折苛まれる激しい下痢を余り気にしていない。なぜなら、明美の解釈によれば、ある種の嘔吐や下痢は身体の浄化作用の顕れらしくどちらかと言うと歓迎している風すらある。

「…う~ん、やっぱり難しいな。正直、俺って今まで、明美が言うような世界についてちゃんと考えたことも無かったしよくわからないんだけど、それでも気になることを幾つか調べてみたよ」

「それで? なにか見つかった?」

「以前行った蛇の淵だっけ、あそこで見たって言う地蔵菩薩と、銀門についてなにかわからないかと思ってお父さんの本を漁ってみたんだ…。ま、地蔵菩薩については明美の方が詳しいよな。正直、当たり前のものしか出てこなかった。でも、代わりに子どもたちの霊について面白そうなものを見つけたんだ。民俗学の全集の中にさ、そこだけ真新しい付箋が貼り付けてあったから開いてみたら、不慮の事故で亡くなった子どもの霊を成仏させるために現れる子ども霊がいるらしいんだよな…ほら、ここ読んでみ」

健作が寝床にまで運んできた分厚い一冊を見ると、そこには確かに真新しい付箋が貼り付けてあった。その全集が、書斎の本棚を上下二列も占めていたのは知っていた。だが、誰もが知っている民俗学の権威が残したその全集は、父の専門だった考古学とは異なるために特に意識はしてなかったのだ。

生前、「考古学は文献研究では駄目だ」と現場主義に徹した父の手慰みとしか思ってなかった書籍のそこに、紛れも無く父の手による真新しい付箋があった。そしてそこには、地蔵菩薩の眷属として、未だコノ世とアノ世をさ迷う子ども霊をアノ世へと導く子ども霊の存在が記されていた。

「ありがとう! これよこれ、パパは見つけてたんだわ。私と亜里沙が見た子どもたちの霊は、きっとこの子たちよ。…そうか、これでやっと謎が解けたわ」

「なんだよ、どういうことか話してくれよ。見つけたのは俺なんだからな」

「そうね。健作って最高だわッ」

言うなり、二つ並んだ隣の布団で黒玉を弄っていた明美が健作に飛びついてきた。

示されたヒント

「思い出して。今回の事件って、パパが死んだことがきっかけではあるけれど、事件としての始まりは亜里沙と私が子どもたちの霊を目撃したことよね」

そうだった。突然ではあったが、父の死は、偶然居合わせた明美にとっては不幸中の幸いだったし、特に死因にも問題は無かったはずだ。最愛の父を荼毘に付した帰りの車中で、姦しい叔母たちの話を耳にしなければ、今回の事件に巻き込まれることは無かったかも知れない。そして、当初は傍観者でしかなかった明美が、面河渓谷へのドライブの帰りに子どもたちの霊を目撃してしまったことで当事者と化してしまったのだ。

以来、続発する不審死と叔母が話していた裏巳午が奇妙にリンクしているように思え、関連性を探り始めた途端に上村静江が現れたのだ。

その間、祖母や曾祖母との交信を繰り返し、明美自身の前世体と称する〈口の大きな男〉と名乗る祈祷師との邂逅を果たすに至った。それと同時に健作は、一連の不審死の元凶と思われる陽炎に憑きまとわれるなど、明美が連なる血の系譜に守られていなければ生命すらも脅かされかねない状況に追い込まれて行ったのだ。

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「三重の塔、あそこに間違いないわ。かなり弱々しかったけれど、以前、あの子のお母さんをリーディングしたときに感じたのと同じ波動があの塔の中に封じ込まれているの。それに、そんなあの子の波動を遮るようにとても強力な三つの波動が蠢いていたわ。で、こっちの方は、意識を向けるのもおぞましい禍々しい波動なのよね」

やはり帰りの車中で、明美は健作の記憶から…。いや、健作自身も認識できない記憶の最奥部をリーディングして、剥げかけた漆喰壁の向こう側の様子を探り取っていた。

「でも、だとしたら、明美の言う陽炎だっけ…奴らの狙いはなんなんだ? 可愛そうだけれど、死んでしまった理沙ちゃんの魂だとしたらもう手に入れたも同然なんだろ? なんで、わざわざ閉じ込めておく必要があるんだ?」

それでなくとも、明美と違ってその手の能力を持たない健作にしてみれば、何もかもが分からないことだらけだ。考え始めると終わらない。

考えては駄目だ。答えの出ないまま思いを巡らせていると、それだけでアレを引き寄せてしまう。

「ところで健作、さっき銀門についてなにか言ってなかったっけ? なにかわかったの?」

そうだ。今夜の話し合いの口火は、健作が子どもたちの霊と銀門について調べるために、父の書斎に一日籠もったという話だった。ただ、子どもたちの霊については、父が残した糸口を見つけたが、銀門についてはまだ何も語っていない。

「そうだ、銀門だ。…ごめん。こっちの方は、なかなか突破口が見出せないままなんだけど、だからちょっと考え方を変えてみたんだよな」

期待できるのか、してはいけないのかわからないまどろっこしい言い方をしながらも、タバコを吹かす横顔になんともいえない余裕が伺える。

「ねぇ、だからどういうことなの? 勿体つけないで話してよ」

「うん。俺ってずっと門のことを考えてたんだよな。どこかに銀色の門があるのか…みたいな感じでさ。でも、結局そんなもの見当たらないしさ。で、お父さんの本をパラパラやりながら銀になぞらえるモノを色々と考えてみたんだ」

「なぞらえるって…?」

「うん。銀ってさぁ、なんていうかそれだけでも有難いよな。ドラキュラとか狼男が嫌う銀とか…。そんな風に、昔から魔除け的な存在でもあったワケだ。最初はそんな具合いに、金属としての銀に囚われていたんだけど、もう一度考え直してみたんだ。そしたら、子どもが歌う『キラキラ星』が浮かんできたんだよな。星とか月明かりとかも銀色になぞらえるぜ。で、門だろ。門にたとえるなら、開いたり閉まったり…、そして銀色にたとえるもの…なんだか、もうそこまで見えてる気がするんだけど…」

そう言ったきり健作は口をつぐんでしまった。まだ考えがまとまっていないらしい。

しかし、今の健作の言葉は、それまでにない閃きを感じさせた。それきり黙り込んでしまった健作の横で、明美は静かに思いを巡らせていた。

祈りと呪い

筆者は「現代は呪いの時代」だと思う。呪いという行為が盛んに用いられたのは近世以前と考えがちだが、様々に苦悩に満ちた現代社会を見ると、依然として、呪いは活発に活動しているように思えてならないのだ。「大切な人の幸せを思い願うことは素敵な行為です。でも、その思いに対象者の望まない束縛が含まれた瞬間、祈りは呪いと化す可能性があるのです」(真印さん)。祈りであれ、呪いであれ、一心に思い願うということは、じつは膨大なエネルギーを要している。触れずして他者の未来に影響を及ぼそうという、意識が持つ力を費やしているのだ。真印さんによれば「フラットな感情の一方のサイドに〝思い〟とか〝願い〟があり、その先に〝祈り〟がある。他方〝妬み〟とか〝恨み〟の先に〝呪い〟があると理解してください」という。幸を願うか、不幸を願うか、いずれにしろ膨大な意識のエネルギーを費やす行為が祈りであり、呪いなのだ。「意識を向けるベクトルをわずかでも間違えると、費やしたエネルギーはあなたに跳ね返ってきますよ」(真印)。

SILVA真印オフィシャルサイト