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本に洋服、食料品から日用雑貨まで、今やスマホでいつでもどこでもポチッと通販できる時代。そんな現代的なイメージの通販だが、じつは、その歴史は明治時代にまで遡ることができる。

 

「今からちょうど140年前の1876年、明治9年。農業学者の津田仙が創刊した農業専門誌『農業雑誌』での、アメリカ産トウモロコシの種の通販が、日本初の通販といわれています。津田仙は青山学院大学の創設にも関わった人物で、娘に津田塾大学の創立者・津田梅子がいます」

 

通販の歴史についてそう教えてくれたのは、通販評論家の村山らむねさん。当時、アメリカでは農家に向けた種苗の通販が行なわれており、それに倣って日本でもアメリカ産の種苗を普及させようと始めたのがきっかけだという。郵便制度が全国的に確立されたのが、その4年前の明治5年なので、当時としてはかなり革新的だ。

 

「始まりは、消費者向けの通販ではなくあくまで対農家のビジネス通販。でもこの後、通販が徐々に社会に浸透していき、私たちになじみのあるカタログ通販も登場します」

 

村山さんのガイドで、通販140年の歴史の創生記を振り返ってみよう。

 

「消費者向けの通販が定着したのが、百貨店の通販。明治32年、高島屋が通販を始めたのを皮切りに、三越や大丸が続きました。当時の百貨店は大都市にしかなかったので、地方の富裕層が通販を利用したのでしょう」

 

三越では、明治44年には電話注文による販売も開始。大正4年、「三越の電話はお話中が多い」との苦情に対し、電話回線が42本あることをアピールした案内広告をPR誌に出したというから、当時、電話での注文が殺到していたことをうかがわせる。

 

大正13年に発行された三越の通販カタログを見てみると、当時の貨幣価値は1円が現在のおよそ1,200円(編集部調べ)なので、ピーチの缶詰1缶が、今の価値で約2,200円!高級品が販売されていたことがわかる。

 

「昭和5年には、現在の講談社である大日本雄弁会講談社から『どりこの』という清涼飲料水も販売され、通販でも大ヒットしました」

 

当時の講談社には「代理部」と呼ばれる通販部署があり、化粧品、洗剤、時計、トランプまで広く食料品や雑貨などを販売しており、「どりこの」もその1つだった。今でいう健康ドリンクで、購入者から「胃病が全快した」「勉強ができるようになった」などの感想が相次ぎ、講談社の熱心な宣伝活動もあって、またたくまにその人気は全国に広がった。当時の日本で「どりこの」を知らぬものはないほどだったそう。百貨店や薬局でも販売されていたが、通販が「どりこの」大ヒットの一助となったことは間違いないだろう。

 

そんな通販は、今やショッピング形態の主流の1つになった。村山さんは、通販の今後についてこう語る。

 

「これからは、配達の速さが競われる時代。Amazonでは未来型の通販を模索しています。たとえば、注文を受けた時点では在庫はありませんが、その後すぐに配送トラックが注文情報を受信。配送トラックの中で、3Dプリンターで商品を作って配達する、といった仕組みです。いっぽうで、ハンドメード作品の通販サイト『minne』のように、個人が手づくりの商品を作って販売する市場も広がっています。楽しんで作って、それを待っているファンの人に販売する。配達競争とはまったく違う世界ですが、案外、こういう小さい規模の通販が最後まで生き残るんじゃないかと思うんです」

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