チベットに思い入れが深い渡辺一枝さん。写真は自宅にて(写真:落合由利子) 画像を見る

「“一枝”と書いて“いちえ”と読むんです。ハルビンで戦死した父が付けてくれた唯一の形見です。私らしい名前でしょう」

 

そう言ってほほ笑む作家の渡辺一枝さん(77)。同じく作家で冒険家でもある椎名誠さんの妻でもある。

 

「おっかあ(妻)は僕よりすごい」と、椎名さんも太鼓判を押す冒険家で、旧・満州やモンゴル、チベットなどへ旅を重ね、その体験を綴った書を何冊も出版してきた。一枝さん。知り合いはみんな、親しみを込めて、「いちえさん」と呼んでいる。

 

■募る、出生の地・ハルビンへの思い

 

一枝さんは、’45年1月、旧・満州のハルビンで生まれた。

 

両親とも反骨精神のある人で、父は学生のころ、帝国主義を押しつける教師に反発して退学。母は教師だったが、軍国教育に嫌気がさし、教師を辞めて旋盤工場の労働者をしていた。そんな両親は日本の侵略地だった満州に渡る。

 

ハルビンで出会ったふたりは’41年12月に結婚。3年後に一枝さんが誕生し、これからというとき父に召集令状が届く。

 

「父は、出征の朝、『この戦争は、じきに日本が負けて終わる。必ず帰るから一枝をたのむ』と言い残して出ていったそうです」

 

一枝さんの出生から、わずか半年あまり。7月末のことだった。

 

まもなく迎えた敗戦。父の行方はわからないまま、1年後、一枝さんは母におぶわれ日本へ引き揚げる。

 

母は静岡の分教場に教師の職を得たため、一枝さんは5歳まで山梨の親戚宅で育てられた。ようやく母と暮らせるようになったのは、上京し、小学校にあがる直前のこと。

 

「母はよく私にハルビンで父と過ごした楽しかった思い出を聞かせてくれた。でも私は、幼いころから〈自分は侵略地で生まれた〉という負い目を感じていたんです。『なぜ侵略地に渡ったの?』『なぜ父の出征を止めなかったの?』と尋ねることもできないまま、きれいな思い出話ばかりする母に反発を抱いていました」

 

母もまた、一枝さんが“引き揚げ者”として差別されないように、と厳しく育てた。

 

そのおかげか、学校の成績はいつも優秀だった。一方で、自然も大好きで、中学から大学まで山岳部に所属。高校では、生徒会の副会長でありながら、「今日は授業を受ける気がしないので山に行ってきます」と、授業をすっぽかすような型破りな一面もあった。

 

そんな一枝さんが、当時から夢中になっていたものがある。それは、神秘の国“チベット”だ。

 

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