■鳥取県で寺を守っていた義母に異変が。「あなた、比叡山に行ってくれないか?」
「夫には夢がありました。それは日本の料理人が本当に使える辞典をつくること。それまでにもフランス料理の百科事典やレシピ本を何冊も翻訳出版してきたけど、彼がこだわったのは実用的な辞典。
たとえば当時の日本ではマッシュルームが簡単に手に入らなかった。レシピ本だったら『マッシュルームを使え』で終わるけど、辞典なら、どんなきのこなら代用品として使えるかまで伝えられると。辞典づくりのため、フランスで資料を集める必要がありました」
’81年には辞典を出すために眞澄さんが出版社「イトー三洋」を設立。妙通さんは彼の手足となって働いたという。
1年の大半はパリで暮らし、市民権を持つジャーナリストとして、そして辞典の資料収集のためフランス国内を東奔西走した。
そして’87年、二人三脚で7年かけた『フランス料理仏和辞典』が刊行された。総見出し2万4千語、料理、ワイン、チーズ、製菓、地方料理までを網羅した1千750ページあまりの辞典は、日本の料理人の必携書に。
ついに夫婦の仕事が実を結んだ、その直後だった。
「鳥取県の義母の様子がおかしいと、連絡がありました。義母は、戦後すぐに住職だった夫を亡くし、跡を継ぐはずだった娘にも先立たれ、たった一人で寺を守っていたのです。
駆けつけると本堂は傾き、瓦は落ち、庫裏には物が散乱し、境内には草がボウボウ。うす暗い堂内に、義母がぽつんと……」
義母は認知症を発症し、息子の顔さえ忘れていた。そして寺は荒れ、人も去っていた。天台宗の総本山からは住職の義母の退任にともない寺を明け渡す必要があることを告げられた。明け渡さないのであれば、誰かが僧籍に入る必要があった。
「すると伊東が『あなた、比叡山に行ってくれないか?』と言うのです。つまり住職になれと。私はすぐに『はい』と答えました。決意した、なんて立派な話ではないの。ずっとお義母さんが守ってきた寺が荒れ放題で、このままではなくなるかもしれない。だったら私が住職になればいい。単純でいいじゃない。私は人生でそうしてきました、目の前に差し出された役目を、考える前にまず『はい、了解!(Oui, d’accord)』と引き受けてみるのです」
’89年、妙通さんが45歳のとき、僧侶になるための儀式である得度・受戒を行う。
落としたのは髪だけではない。パリのグルメを知り尽くしたフードジャーナリストとしての華やかなキャリアもあっさりと手放した。夫の眞澄さんも一緒に得度・受戒したが、妙通さんだけが修行のために比叡山に登った。
「約60日間の修行期間中は、午前2時に起床して、冷水を浴びて身を清めて、一日に三座の厳しい密教作法を続けました。でも私は最低限しかやっていないの。東京で出版の仕事をしている夫がいずれ修行して住職になるまでのつなぎで、しくじってもいいと言われていましたからね」
楽しげに笑う。当時も浮かべていたであろう屈託ない笑みの奥には、義母が守り抜いた寺への敬意と、いずれは夫が戻る場所をなくしてはいけないという覚悟がにじんでいたはずだ。
(取材・文:山内太)
【後編】《「鬼のような嫁」と陰口も》グルメ記者から尼僧に転身した伊藤妙通さん 荒れ寺再建に秘めた“家族への思い”へ続く
画像ページ >【写真あり】45歳で得度した妙通さん(他4枚)
