■「あんこはまだまかせられない」あんこも人生も決め手は絶妙な“塩加減”
釜の中の小豆が、いよいよあんこへ近づいていく──。
加寿子さんは木べらを動かしながら、かき氷用のあんこを取り出すタイミングを、目だけでなく釜の音にも耳を澄ましている。
「最後の最後に、甘味を際立たせるためにお塩を加えます。塩は少なすぎれば、甘さがぼやける。でも入れすぎれば戻せません」
加寿子さんはそう語りながら、一握りと半分ぐらいの塩をあんこの中に溶かし込む。量っているようで量っていない。手のひらの感覚が、ものさしなのだろう。
「何グラムか、なんてわかりません。その日によって小豆も、火も、湿度も、私の体調も同じではないから。とにかく甘やかしたらだめ。引き締まったあんこにするには、適度な加減が必要です」
加寿子さんが語る。幼い日の父の死。母の病。厳しい姑。夫との早すぎる別れ。男性社会の茶の斡旋。4人の娘を育てた日々。その一つひとつを、加寿子さんは釜の前で静かに受け止めてきた。
その背中をもっとも身近で見てきた弘美さんはこう語る。
「母は、簡単には小豆を煮る釜の前を譲ってくれません。乳がんを患い、胆のうも摘出しました。厨房で転んで頭を打ち、救急車で運ばれたこともあります。それでも『家族は修業中だから、あんこはまかせられない』と言い続けています。
大変な人生だと思いますが、母は悲しかったことも、苦しかったことも、ただ“なんとか、かんとか”と乗り越えてきた。今は、孫やひ孫たちに囲まれて幸せだと思います。そんな経験が、小豆を炊くときに入れる絶妙な塩加減になっているのだと思っています」
ほんの少しの塩が、まるか村松商店の味を引き締めている。加寿子さんが釜の前で守ってきたのは、あんこの味だけではない。
10時開店。すでに強い日差しが、藤枝の街をじりじりと焦がしている。きっと今日も、かき氷が飛ぶように売れていくことだろう。朝、釜の中で静かに息をしていた小豆は、一杯のかき氷となって、今日も誰かの一日を少しだけ甘くする。
(取材・文:山内太)
画像ページ >【写真あり】卒寿を過ぎても元気な加寿子さん。健康の秘訣は「体操とカラオケ、毎晩飲むビール。そして人まかせにしないことです(他4枚)
