広瀬さんの歌声は天性のもの 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、カラオケで熱唱した歌の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。

 

「誰もがいつまでも続くと思っていた、右肩上がりのバブル経済が、’90年代に崩壊。不安定な時代に青春時代を過ごした団塊ジュニアですが、まだ’90年代初頭は好景気の余韻が残っていました」

 

こう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。

 

その当時から現在に至るまで、ミュージックシーンの第一線で活躍しているのが、広瀬香美だ。

 

「『愛があれば大丈夫』でデビューした’92年は、テレビの深夜番組というとスポーツニュースも多かった。そのため、冬場はアルペンやヴィクトリアなどスキー用品店のCMが大量に流されました」

 

そのアルペンがCMで起用した『ロマンスの神様』(’93年)や『ゲレンデがとけるほど恋したい』(’95年)が大ヒットしたことで、広瀬は“冬の女王”と呼ばれるようになった。

 

「ところが広瀬さんご本人はウインタースポーツの経験がほとんどなく、しかも温暖なロサンゼルスで音楽活動をしていたそう。そのため、冷房でキンキンに冷やした部屋で雪山の写真を見ながら、曲のイメージを膨らませたことを、インタビューで明かしています」

 

■“音楽の神様”に愛された天性の歌声

 

広瀬は幼いころからクラシック音楽の英才教育を受け、音楽科のある高校から国立音大へと進学した。

 

「学生時代から頭に浮かんだメロディを楽譜に書き起こし、国立音大在学中にはマイケル・ジャクソンやダイアナ・ロスのボイストレーナーに師事していたといわれています」

 

そんな経験があるからこそ、難度の高い曲を歌い切る力が発揮できたのだろうという。

 

「たとえば、『ロマンスの神様』も転調してからさらに高い声を出すんです。“ここから、まだ上がるのか”と、天性の歌声に魅了されました。’90年代はカラオケボックスが普及した時代で、広瀬さんの曲も歌われましたが、高音が出ず、キーを下げて挑戦した人も多かったのではないでしょうか」

 

手がけたシングルは、映画、テレビドラマ、CMなどで頻繁に使用され、タイアップされなかったシングルはデビューして9年後にリリースした『黄昏』が初めて。

 

「それだけキャッチーで、誰もが歌いたくなる曲なんですね。最近は、自身のYouTubeチャンネルでほかのアーティストのヒット曲をカバーして話題に。十分にキャリアを積んだ今でも、歌う喜びにあふれた、カジュアルな笑顔を見せてくれます。まさに“音楽の神様”に愛されたような歌手なのでしょう」

 

【PROFILE】

牛窪恵

’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍

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