学生時代は地味だったという麻生祐未さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中で遊んだゲームの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「大学生のころ、同級生たちはディスコで遊んでいましたが、私はファミコンに夢中になっていました。今でもスマホで面白そうなゲームを見つけると“やってみたいなぁ”と思うんですが、時間を忘れて夢中になってしまうし、どんどん課金してしまうだろうから、なかなか手が出せなくて(笑)」

 

そう意外な一面を告白するのは、女優の麻生祐未(59)。’63年に大阪府で生まれ、長崎県の田舎町で育った彼女がゲーム好きになったのは「とにかく地味な性格で、おしゃべりも得意じゃなかったから」だと振り返る。

 

「実家は市の中心部から離れた山の麓。最寄り駅の近くには牛とか馬とかがいて、バスは2時間に1~2本しか来ないような場所だったんです」

 

高校では美術部に所属。大勢で遊ぶより、放課後、黙々と絵を描いているほうが性に合っていたという。当然、テレビに映る華やかな芸能界は別世界だった。

 

「そもそも実家のあたりは映るチャンネルが少なく、ほとんどドラマを見た記憶がないんです。よく見ていたのは『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)のような歌番組くらいでした」

 

そんな高校生活を終え、大学進学を機に上京。

 

「自分が学びたいと思う先生がいる学校ばかりを受験して、合格したのが青山学院大学。田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』(’81年)の主人公が通っていたとされる学校です」

 

東京随一の流行の発信地である青山での大学生活は、田舎育ちの彼女にとって驚きの連続だったという。

 

「学校の制服しか持っていないような高校時代を過ごしていたので、ファッション誌からそのまま抜け出てきたように洗練された青学生は、異世界の住人のよう。とくに驚いたのは、授業が終わると、正門の前に男のコたちのカッコイイ車がずらりと並ぶ光景。しかも、女のコたちが慣れた様子でその車に乗り込んでいくんですね。“この先、東京でどうやって生きていけばいいんだろう”って、愕然としました」

 

同級生に気おくれしつつも、クラシックやジャズのピアノが好きで、音楽に携わる裏方の仕事をしたいという夢を、しっかりと抱いていた。

 

「今、私が所属している芸能プロダクションに、電話番などの雑用アルバイトとして雇ってもらったんです」

 

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