戦前は喫茶店を経営、戦火で店を失った終戦後は、当時進駐軍に接収されていた新宿伊勢丹で10年間バーテンダーをやっていた小林さん。進取の精神に富み、進駐軍仕込みのハンバーガーを、後に開店するメルシーでも出してみたという。ただ昭和33年当時の日本人にハンバーガーはまだ馴染みがなく、メニューから消えてしまった。
昭和45年に現在地に移転するまでは、早大南門近辺で営業していたメルシー。現在も看板に「軽食」と残るように、ドンブリものに定食、クリームソーダと学生の喜びそうなものはひと通り出してみた。名残として今もメニューにコーヒーは残り、ドライカレーやオムライスも常連に根強い人気を誇る。「それでもやっぱり学生に人気があったのは、安いラーメンだったね。昔はマージャン屋が何軒もあったでしょう? 出前の注文がいっぱい来てね…」
安くておいしい。雀荘の学生達からの出前で、人気メニューとなったメルシーのラーメン。店側の押しつけではなく、客に選ばれ、愛され、育てられた一品と言ってよいだろう。
昭和33年の開店当時、33円だったメルシーのラーメン。戦後の高度経済成長で「半年に1度値上げしないといけないくらいの」物価高が日本中を襲い、昭和50年頃には1杯200円になるが「客は学生。値上げは極力控える」という小林さんのポリシーは揺るがなかった。