「何も言わないから掃除してみろ」、高橋さんの「大勝」での最初の仕事は営業終了後の店内の清掃。与えられた時間は1時間。「1時間じゃ終わらないんですけどね。慣れると1時間でできるようになる。僕は前の店での経験があったので掃除はクリアできましたが、それでも『ここまで徹底して掃除してるラーメン屋さんて凄い』と思いましたね」。
永福町「大勝軒」の流れをくむ「大勝」。調理はもちろん、掃除の仕方も永福町の伝統を守っていた。店の隅から隅まで、上から下まで、指で触れて洗い残しがないか確認しながら、ピカピカに磨きあげていく。「それでも旦那様は『永福町の旦那様は厳しかった、俺なんか比じゃない』っておっしゃってましたけどね」…高橋さんが「旦那様」と呼ぶ「大勝」の店主、松草修司さん。高橋さんが28歳で弟子入りした時に60歳近く。1年間あてもなく通い続けた“見どころある若者”を弟子に取る時、こう伝えた。「今までいろいろ調理の経験をしてきただろうけど、ウチでは一切出さないこと。全て私のやり方に従ってくれ」。
1ヶ月の掃除だけの期間を過ぎ、雑用や盛りつけ、簡単な仕込みなど、少しずつ“松草流”の仕事を覚えていった高橋さん。「旦那様には繁盛店を守っている自負があり、そして全てに目が行き届いていました。僕が気を利かせて先回りした仕事をしても、『それは違う』と。その数手先まで旦那様には見えていました」。当時の休みは月2日。「好きなことをしているので、ヘトヘトで帰ってきても次の朝は必ず起きて行く、みたいな。でも“好きじゃなきゃできない辛さ”にも見えましたね」(智子さん)。
1年後。“麺あげ”の仕事をさせてもらう。「右手1本で箸も使わず、同じ量の麺を釜から拾ってくる。昔ながらの高度な職人芸なんですね。以前の店では左手で箸を使っていたから全然勝手が違うわけです。常連のお客様の視線に緊張しながら…」そしてスープの仕込み。かつて、どうしても真似できなかった“味の謎”だ。「煮干を10キロ使ってたんです。ダシに使う量じゃないというか…逆転の発想でしたね。1キロ2キロじゃお話にならなかった」