キュリー夫人は主婦としては優秀だったのか?
夫、ピエール・キュリーとともにポロニウムとラジウムを発見し、2度のノーベル賞を受賞したマリー・キュリー夫人。だが偉大な女性科学者の、主婦として優れている一面は意外に知られていない。
1895年7月26日、マリーと物理学者のピエールが結婚したとき、ふたりは無一文。結婚式のドレスは地味で実用的、式で着た後は実験室に着ていけるようなものにした。お祝い金で購入した自転車で新婚旅行に。旅行から戻り、キュリー夫人が最初に買ったのは家計簿だった。
彼女が教職につくまでは、夫ピエールの物理化学学校での給与500フランが、ふたりの唯一の収入。生活の「やりくり」にもキュリー夫人の才能は発揮されていた。
「使い道」と書かれた黒い表紙の家計簿は、オリジナルの付け方だった。夫婦それぞれの支出が一目でわかるように「殿方経費」「ご婦人経費」と別々に分けて記入。よくある家計簿の、使う項目別に記述することよりも、家族それぞれのお金の使い方を細かくチェックし、出費を抑える「個別出費家計簿」で節約に励んだのだ。
1906年、最愛の夫を不慮の交通事故で亡くしてしまうが、その後も質素な生活で家計を維持して、ふたりの子どもを育てながら研究を続けた。夫人は放射能に絶えず身を晒したことなどで、白血病のため66歳で亡くなった。
ラジウム発見では「特許」はとらず、物理的な利益を得る権利を放棄する。その理由を「科学の精神に反するから」と語っている。病気の人の治療に役立つことが研究の目的だった。またキュリー夫人は世の女性たちにこんな言葉を遺している。「慎ましい家庭生活を送り、自分の興味の持てる仕事を見つけてください」