『ペコロスの母に会いに行く』作者が語る「認知症母の介護」
「ボケ始めのころ、しっかりものだったお袋が子どもに返るのを見て、これは母親に対して使う言葉じゃなかかもしれないけど、いとおしかった。僕はボケをただ悲しがるのは嫌だから、母のことをマンガに描き始めた。深刻な状況でも、笑うことで受け止めることができたのかもしれない」
長崎県でフリーペーパーやタウン誌の編集をしている岡野雄一さん(62)が、認知症の母・光江さん(89)との日々を描いたマンガ『ペコロスの母に会いに行く』が注目されている。10年かけてタウン誌に描いていたものが、自費出版から火がつき、西日本新聞社から出版されたのが7月。すでに6刷3万7000部を突破し、長崎出身の森崎東監督による映画化も進んでいる。
光江さんは、海の向こうに生まれ故郷の天草が見えるグループホームで暮らしている。雄一さんは母の元を訪れるといつも「さあ、お袋。いつものやろうか、ほら」と帽子をとって、ピカリと光るつるつるのハゲ頭を差し出す。母は左手を伸ばして、ペチペチペチペチ!「光江さん、あんたが今たたきよるとは、なんね?」「頭!」「犬も歩けば?」「棒に当たる!」「石の上にも?」「子供がおる!」「三年やろうが、光江さん」ペチペチペチペチ!
このたたかれているハゲ頭のニックネームが”ペコロス”――小玉ねぎの意味だ。
「お袋のボケが始まったのは親父が死んだ’99年。その後、脳梗塞を患ってボケの症状は一気に進んだ。そんな姿を見て思うのは、ボケるのも悪くないなと。『なぁ、雄一。うちがボケたけん、父ちゃんが現れたとなら、ボケることも悪かことばかりじゃなかかもしれん。さっき父ちゃんが訪ねて来なったばい』とうれしそうな笑みを浮かべて報告してくれる」
もちろん現実は、マンガのようにクスっと笑って終わることばかりではない。
「お袋が下着を丸めてタンスの奥に押しこむシーンも、マンガでは臭いは伝わらない。その下着にはおしっこ、うんちがついていた。お袋が半日いなくなり帰ってきたとき、マンガは『父さんと2人で町ば見に、上に行っとった』で終わるけれども、実際は捜索願を出す騒動。マンガにすることで、そんなもんだろうと受け止めることもできたのだと思う」
今、決めていることは、いずれ来る母の最期の瞬間をユーモアを忘れずにマンガにすること、と雄一さんは言う。
「人間はふだんから老いに少しづつ向かっている。地続きなんだ。そう考えるとボケは自然のこととして受け入れられた。その先に死もあるだろう。これはお袋から教わったこと。お袋を看取るまでは、おいもしっかり生きとらんと」