「最近太った?」と友人に言われたのは、就職してから3カ月がたった初夏のこと。新人編集者としてめまぐるしい毎日を過ごすうちに体を動かす機会は減り、知らない間にお菓子が心の支えになってしまっていたのだ。
そういえば最近、スーツの二の腕がきつい。きつくて、腕を回すと破れそうになる。考えないようにしていたけれど、よく見ればおなかも心なしか鏡餅みたいだ。健康のためにも、このままでは確実にまずい。とはいえ最近暑いし、運動は疲れるのでやりたくない。私は肥大化の一途をたどってしまうのだろうか……。
しかし、怠惰な私はひらめいた。「縁切り効果があるパワースポットでぜい肉との縁を切ればいいのでは?」という計画を思いついたのだ。というわけで、今回の新入社員突撃体験企画はスタートした。
インターネットでリサーチし、意外にも多くの人が縁切りスポットの御利益にあやかっていることが判明した。ネットの書き込みには人間関係や仕事関連の悪縁切りを願いに行った人のほか、私のようにぜい肉と縁を切ってもらいに行った人も見受けられた。
調べを重ね、特に御利益のありそうな場所が見つかった。群馬県太田市にある満徳寺だ。
多くの旅行サイトで紹介されているこのお寺。いちばん目を引いたのはユニークな縁切り方法、「縁切・縁結厠」を使ったお札流しだ。お札に切りたい縁を書き、トイレに流す。その方法がインパクト大だった。「余計な脂肪との腐れ縁を流してやった!」と心も、あわよくば体もスッキリするはず。そう思って早速、満徳寺に向かった。
昔の様子を忠実に再現して建て直されたという本堂は、爽やかな木の香りで満ちている。満徳寺資料館では、お寺の歴史について教えてくれた。
「江戸時代、満徳寺は離婚を願う女性の駆け込み寺でした。夫に非があっても妻から離縁をするのは難しい時代に、女性の味方をした貴重なお寺だったのです。徳川家とも、とても縁が深いんですよ。大坂夏の陣の後、豊臣家に嫁いでいた家康の孫娘・千姫が豊臣との縁を切るために寺に入ったという言い伝えもあります。そんな歴史ある満徳寺は、当時2つしかなかった“幕府公認の縁切り寺”だったんです。今は離縁に限定せず、さまざまな願い事ができます。もちろんプライバシーを守るため、私たちは具体的な内容を聞きません」
そう言って渡されたのは、2枚のお札。片方に切りたい悪縁、もう片方には結びたい良縁を書いて「縁切・縁結厠」に流すのだ。案内用紙には「独身と縁切り、認知症・寝たきりと縁切り、借金と縁切り」などなど、バラエティ豊かな願い事の例があった。そのうえ、良縁と縁結びするためのお札ももらえる。
私は縁切札に「増えてきたぜい肉と縁切り」、縁結札には「スリムで健康的な肉体と縁結び」と書き記して厠の水に浮かべた。そして、厳かにトイレのレバーを押す。さようなら、増えすぎた脂肪との縁! ようこそ、スリムで奇麗な健康体! そう、心の中で唱えながら――。
あれから東京に帰り、またも忙しい日々に舞い戻った。だがあるとき、ふと気が付いた。
隣の上司がおいしそうなおせんべいを食べていても、私は「1枚ください」という言葉をのみ込んでいたのだ。以前なら、真っ先におねだりしていたはず。なぜ、我慢できているのだろう。そういえば休日にはなんだか体を動かしたくなって、プールや散歩に足が向かっている。いつもなら寝て過ごすのに、どうして――。
なんとなく、背後に視線を感じる。もしかしたら、かつて満徳寺に駆け込んだ縁切り希望女性たちのアシストなのか……。いや、違う! 心の底に、自意識が芽生えたのだ。本気で痩せたい。由緒ある縁切りスポットに足を運んだのだから、きっと私にもできるはず。やる気のなさは鳴りを潜め、いつの間にか私はそんな気分にさせられていた。
それ以降、私の日常から着実に少しずつお菓子は姿を消していった。そして、学生時代好きだった水泳を再び楽しんでいた。
1カ月後。私は、体重3キロ減の快挙をたたき出した! スーツを着たときにも、腕の可動域に違和感がない。パツパツではなくなっていた。お願いしたら楽に痩せられるかなと考えた怠惰な私が手に入れたのは、健康的な体だけではない。体によい生活へのシフトチェンジそのものだったのだ。
「満徳寺は、由緒正しい縁切り寺でした。今は、お寺としての機能はありません。ただ当時を再現した本堂と資料館が隣接していて、資料館の中の縁切・縁結厠を利用できます。縁結びのお願いもできるので、誰でも気軽に明るい気持ちになれるのが魅力です」
前出の満徳寺資料館の関係者が語っていた言葉がよみがえる。人はきっと、少し背中を押してもらうだけで変わることができる。そして、私の背中を力強く押してくれた満徳寺に感謝が止まらない。おそるべき御利益だ。