’79年9月4日、ランランは自然妊娠後に妊娠中毒症などの合併症を起こして死んでしまいました。そのとき何千通という手紙が連日、全国の子どもたちから上野動物園に殺到したんです。それを中国の偉い関係者が目の当たりにして、すぐにホァンホァンをくださった。普通、中国は外国にパンダを贈呈しても、死んだからってまた次ということはないんです。
だからあのときはうれしかったです。私が中国政府からパンダのことで招待されたのは、’84年のことです。そのとき、中国の新聞に「大熊猫博士・黒柳徹子女史」て出ていてビックリしました。
実は私、パンダの名前もつけたことがあるんですよ。’01年の『日立 世界ふしぎ発見!』(TBS系)のトップ賞の賞品として、パンダ1年分の飼育費用と、四川省臥竜地区のパンダ保護地域で生まれた赤ちゃんパンダの命名権をいただいたの。じゃあ、どうしよう。かわいい名前にしなくちゃ――。
私が’81年に出した『窓ぎわのトットちゃん』は中国でも翻訳され、たくさん出版されています。トットは、中国語で「豆豆」。名前は豆豆ちゃんにしようと決めました。私が名付けたトットちゃんは、少し前に聞いたら、ヤンチャでヤンチャで隔離されてしまったとか。誰に似たんでしょう。困りましたね(笑)。
’17年に日本で生まれたシャンシャンも、動物園に頼まれて、日本中から応募された名前の審査員になりました。今までのパンダの赤ちゃんの名前にはない、新鮮な感じでとっても気に入りました。小さな子どもでも覚えられるし、漢字(香香)にしてもかわいいでしょ?
シャンシャンを境界のガラスの外から見ていたら、近寄って来て、私の顔に顔をすり寄せてくれたこともありました。あのあどけなさったら、たまらないでしょう?残念ながらシャンシャンは2020年5月に中国に返還されてしまいます。悲しいです。元気に大人になってほしいです。機会があったら、中国に会いに行きます。
女性自身の約50年分のパンダの歴史が詰まった「パンダ自身」。発売後即重版となり、現在売り切れ店続出。見つけたら迷わず入手すべし! アドベンチャーワールドはもちろん、シャンシャンやタンタン、過去に日本で人気だった懐かしのパンダたちも大特集!