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「高校時代によく通った阿蘇大橋は崩落しました。実家は無事でしたが、近所には屋根にブルーシートがかかったままの家も。自宅を失った同級生もいます。それなのに地元での壮行会で元気をもらって……。今度は私がみなさんを勇気づける番です」

 

目を輝かせながらこう語るのは、リオ五輪柔道女子78kg級で頂点を目指す梅木真美選手。大分県九重町で生まれたが、中学、高校時代は熊本で過ごした。被災した“故郷”を訪れたとき、“地元のために”という闘志があらためて芽生えたという。

 

“おおいた豊後牛”を育てる畜産農家の、3人姉妹の末っ子として育った梅木選手。母・英子さん(58)は「牛の世話が忙しくて、子育ては野放し」と語っていたが、外国人選手に力負けしないパワー、スタミナはどこから生まれたのだろうか。

 

「おなかがすいてもお菓子がなかったから、柿をとったりトマトやきゅうりを食べたり。食事も肉や新鮮な野菜など体にいいものばかり。小学校にも4キロ歩いて通っていたし、牛のエサのワラ運びなどの手伝いもさせられて……。たしかにこんな強い体に育ててくれた母には感謝しなければいけませんね」

 

と、人懐っこい笑顔を見せる。小3で柔道を始めたが、男の子とばかり対戦させられるのが嫌で、中学ではバレーボールかソフトボール部に入ろうと思っていたという。

 

「でも、母がプレッシャーをかけるように“なんでやめるの?”という感じだったので続けたんです。大学を選ぶときも、出稽古をして、朝から晩までみっちり練習をしていた環太平洋大学は嫌でした。でも『どうせなら練習がきついほうがいいんじゃない』と母に言われたんです」

 

母の言葉が、梅木選手をさらに高い目標へと導いたようだ。“平成の三四郎”とよばれたバルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦監督の厳しい指導を受け、昨年には世界一の称号を手にした。そして、強豪がひしめくリオの大舞台に立つ。

 

「自分には柔道のセンスがあるわけでもないし、前に出て攻め続けるだけ。母だけじゃない、大分や熊本の人たちにも背中を押してもらっている気持ちで金メダルを狙います」

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