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あなた自身が、もしくは家族が、がんで“余命宣告”を受ける日が来るかもしれない。目の前に死を突きつけられたとき、冷静ではいられないだろう。しかし“残りの時間”を知ることで、新しく開ける人生もあるという。

 

「余命から目を背けなかったからこそ、思い切って、長年抱いていた願いを実現できました。“死への準備”は整っています」

 

晴れやかな表情で語るのは、日本のファイナンシャルプランナーの草分けで、「FPの母」の異名もある小野瑛子さん(77)だ。体調不良を感じ始めた’15年3月を振り返る。

 

「そのころから息切れが激しくなり、7月には50キロあった体重が40キロに……。38度の熱が続いたことで病院に行くと、肺がんによって左肺の機能がほぼ100%失われていることがわかったんです。治療の中心は放射能と抗がん剤。年齢的に手術には耐えられないため、完治は望めない状態でした」

 

それでも取り乱すことがなかったのは、小野さんは6歳のときに、原爆爆心地から1.5キロの場所で被爆しているからだ。

 

「被爆者は、がんを発症する確率が非被爆者の2倍といわれているので、若いときから覚悟はしていました。それに、さすがに現役世代ならもっとショックを受けていたかもしれませんが、もう後期高齢者ですからね。むしろ息子や娘のほうがオタオタしていました」

 

だが、余命期間については小野さんの心情をおもんぱかってか、主治医はなかなか教えてくれなかった。

 

「私が誘導するように質問をして、ようやく『(閉塞性)肺炎を起こせば、明日かもしれません』と聞き出しました。そして、余命を知ったことで、仲間が生前葬を執り行ってくれたんです。みんなからの寄付で、ドレスもプレゼントされ、大事な人たちにお別れの挨拶ができました」

 

自分のやり残しは何か、延命治療は受けたくない、最後は痛みを取り除いてホスピスで穏やかに過ごしたい……。“その後”の生き方も冷静に考え抜いた。ただ、悔いのない最期を迎えるためにはお金も必要だ。ここからの行動は、まさに“FPの母”ならではだった。

 

「かつてFPとして生命保険関係の原稿を書いていたころ、まだ創業間もないプルデンシャル生命を取材する機会があったんです。通常の死亡保障に、日本で初めてリビングニーズ特約を導入したことを記事に書いたんですが、“これはいい”と、53歳のときに自分も加入しました」

 

リビングニーズとは、被保険者が余命6カ月と診断された場合、死亡保険金を生きているうちから受け取れるというもの。受け取ったリビングニーズ保険は2,800万円。小野さんはこのお金を、4等分した。

 

「本来、死亡保険金は家族が受け取るもの。私が全部使っちゃうわけにもいかないので、息子と娘に4分の1ずつ生前贈与しました。子育て真っ最中の息子と娘にとっては、今使えるお金が喜ばれると思って……」

 

さらに保険金の4分の1は、余命が延びた場合のため、治療費や緩和ケアの入院費、公的な保険料や税金の支払いなどに備えて手をつけず、銀行へ。通帳と印鑑は家族に預けている。そして最後に残った4分の1は、やり残したこと、好きなことに使おうと決めた。

 

「家族があきれるほど、最初の1年で散財しました。そのくらい思い切ったことができるんですね。温泉旅行や海外旅行にも行きましたが、私のライフワークにもお金を使いました。被爆者として原爆の語り部の活動も、交通費や宿泊費の心配をせずに地方に足を運べ、可能な限り若い世代に体験を伝えられました。私の母も被爆しておりますが、原爆投下2年後に書いた英文手記の、翻訳版を、自費出版できたんです」

 

そして、娘家族と同居し、孫にも囲まれた幸せな暮らしだったが、「最後のわがまま」として終の棲家も購入した。

 

「抗がん剤治療も先日終わって、昨日は映画を見に行きました。好きな物を食べて、眠いときに寝る。多少、せきが出ていますが、まだまだ元気です。“余命半年”で保険金をもらったのに、2年も生きているから『死ぬ死ぬ詐欺』だなんて言われるかも(笑)」

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