《人にはそれ抜きにして自分を語れない決定的な「時」があるのだと思う。私の場合、夫の死だった。悲しかった。絶望しかなかった。それでも、私は喜んでいる私の心も見つけてしまった。悲しみは悲しみだけじゃない、そこに豊穣がある、と気づいた。このことを書かずに私は死ねないと思ったーー》(『文藝春秋』3月号より)
第158回芥川賞を受賞した若竹千佐子さん(63)は“受賞のことば”として、こう綴っている。子どもを育てあげ、夫も看取った74歳の主婦「桃子さん」が、老いや孤独を抱えながら、新しい世界を歩んでいくさまを描いた受賞作『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社)は、50万部を超えるベストセラーになっている。
若竹さんがデビュー作となる同作品を書くことになったきっかけは、8年前に自営業を営む夫を突然亡くしたから。絶望のどん底にいたときに、彼女の長男が勧めてくれたのが「小説講座」だったという。
「若竹さんにとっては、小説講座に通い、文章を書くことで、死別による絶望感や孤独感から一歩踏む出すことができたのでしょう」
そう語るのは、埼玉医科大学国際医療センターで、遺族の悲しみに耳を傾ける「遺族外来」を開設している大西秀樹教授(57・精神腫瘍科)。
「核家族化と少子高齢化が進み、以前より人間関係が狭く濃くなっています。それだけに配偶者や家族、親しい人との死別は悲しみが深く、心身にストレスがかかります。その心の傷が消えることはありません。しかし、大切なことは、悲しみと折り合いをつけて、愛する人のいない世界に適応しながら人生を送ることなのです」(大西教授・以下同)
大切な人を失って、悲嘆が深刻化し、無力感で先に進めない人は少なくない。死別後には、うつ病の発症率と自殺率が高まり、心臓病の発症率が上昇するという。
「夫婦仲がいい人ほど、死別のつらさが大きいと考えられていますが、夫婦仲がいい方はもちろん、特段仲がよくなくても、配偶者の死別による悲しみに打ちひしがれて、立ち上がれない人は多いのです」
大西教授は“配偶者の死別による空虚感”について、こうアドバイスする。
「死別の悲しみが消えることはありませんが、人は必ず『成長』をします。どんなにつらい目に遭っても、それを乗り越えて、自分で解決していく力があるのです。ただ、愛する人がいない人生に適応できるまでの時間は、人によって異なるので、決して焦らないでいただきたい」