28歳で「大勝」での修業を始めて5年後の32歳。高橋さんは独立を許され、松戸に「まるき」を開店する。「大勝」で20年間使われていた60センチの“羽釜”を譲り受け、新しいお店ののれんもプレゼントしてもらった。開業前に1ヶ月「大勝」の厨房で働いた智子さんとの二人三脚で2001年に「まるき」は始まった。
「最初はお客様から厳しい言葉をいただきました。『女々しい「大勝」だ』とか『ぼやけた「大勝」だ』とか…こたえましたね。スープにパンチがない、あっさりした中にコクを出すって一番難しいんだよって。厨房で一晩中眠れずに『どうしたらいいのかなあ?』って考え込んだり。お客様が来なかった日は『もったいないなあ…』って思いながらスープを捨てたり。3日ヒマが続くと自分を悪い方向に追い込んだり…」
師匠の松草さんからラーメンの全てを叩き込まれた高橋さんであったが、自分で店を持つとなると話が違った。全ての責任は自分にかかってくる。そしてひとつ、教えられなかったものがあった。
「スープの“返し”ですね。柏の旦那様も、永福町の大旦那様も、これだけは自分で作られていて他人には一切公開していない。“返し”は店の顔であり、自分で考えて作るもの、との教えでした」
修業の最後の1年は自分で“返し”の研究を始め、師匠に味見もしてもらっていた。それでも客からは「違う」との言葉が突きつけられる。「ここ1〜2年、グランドレシピは変えていないのですが、今日までの7年間で122回、返しを少しずつ変えてきました」。
“女々しい”とか“ぼやけた”といった“課題”を乗り越えた回数が122回?
「それもあります。ですがそれ以上に気付いたことがあるんです。最初は“10人中7人がおいしいと言ってくれる味”を目指していたんです。でもそうじゃなかった。たった1人でいいから、「この煮干しラーメン、絶対だよ!」って言ってもらえる味を作ることだったんですね」