「昔はさ、みんな普通の家だったのよ、このへん。今のこのビルがある土地にはモルタル建てが2軒建ってて、ひとつがうちで、隣は八百屋さんだった。それから米屋さん、魚屋さん、お茶屋さん、乾物屋さん、肉屋さん、お布団屋さんもあって…」

創業当時、昭和35年の原宿を振り返る幸子さん。それまではご主人が浜松町の中華料理屋で職人として働き、幸子さんは美容師の仕事をしていたが、息子の隆広さんが生まれたのを機に、この街でお店を出すこととなった。

「最初はよそ者は入りづらい雰囲気の街だったけど、みなさん出前を取ってくれてね。若い人2~3人使って、自転車で出前に駆け回ってました。生活のものは揃う街だったけど、食べ物屋さんは2軒くらいしかなくてね。今のムラサキスポーツさんの場所にあった、日本そばの増田屋さんとかね」

今ではよそ者だけの街というか、有名ショップが並ぶ観光名所となっている原宿神宮前。昔住んでいた人たちは、どこに行ってしまったのか?

「ビルにして貸したり、売っていかれた方も多いですね。この店は大家さんに借りてるけれど、なかなかうちみたいにしがみついてる人は少ないかもね(笑)」

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