「以前、シンガポールでレストランのプロデュースをしていたときのことですが、現地の人に『洋食店』を説明しても、ニュアンスが全然通じなかったんですよ」
そう語るのは日本洋食協会会長の岩本忠さん。日本で初めてチキンバスケットを提供した洋食店「銀座キャンドル」(’50年開店。今月中に期間限定で復活予定!!)の3代目店主だ。
「シンガポール人はもちろん、イタリア人やフランス人も『洋食って何?』って。日本人にとってはおなじみのハンバーグやナポリタンが、海外ではまったく知られていない。これはなんとかしなくては、と思い協会を設立しました」
最近、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』で注目の洋食も、世界から見れば完全に“ガラパゴス”的な存在だというのだ。その歴史的背景を岩本さんに聞いた。
■日本人による洋食のルーツ“西洋料理”の第1号店は1863年にオープン!
「洋食のルーツである西洋料理が日本に入ってきたのは16世紀のこと。ポルトガル船によって長崎に伝わったといわれています」(岩本さん・以下同)
その後、幕末になると横浜や神戸、箱館(函館)などの港が開港。それらの港町を中心として、徐々に西洋料理店が開業していったという。
「日本人による西洋料理の第1号店も長崎でした。1863年に、草野丈吉という人が『良林亭』をオープン。カレーもメニューにあったようです。ただ、肉食文化がなかった当時の日本では、手に入らない食材も多く、本来の西洋料理とはだいぶ異なるものだったと考えられます」
■西洋料理が日本独自の進化を遂げるきっかけは、文明開化の“牛鍋”?
そんな洋食に大きな変化が訪れたのが明治維新。肉食が一躍、文明開化の象徴とされたのだ。
「そこで、日本人の味覚に合うよう、醤油や砂糖で味付けして生まれたのが牛鍋です。ちなみに、当協会では、『米飯に合わせて食す日本独自の進化を遂げた西洋料理』を洋食と定義づけています」
明治28年には「煉瓦亭」が銀座で開業。フランス料理のコートレットを基に、カツレツ(とんカツ)を誕生させた。さらに同店は、オムライス発祥の店でもある。
「煉瓦亭さんのオムライスは一般的なイメージと違い、ご飯と卵が混ざっています。これは元々従業員の賄い用に、手早く作れるレシピとして考案されたためです」
大正11年には、日本橋三越が百貨店食堂として初の洋食堂をオープン。「お子様ランチもここから生まれています」。
■戦後のケチャップ大量流通で生まれた“スパゲティナポリタン”!
そして第二次世界大戦後、洋食は新たな段階を迎える。
「それまでヨーロッパ料理がベースだった洋食に、アメリカの食文化が一気に押し寄せます。その代表格がケチャップ。ケチャップが大量に流通したことで生まれたのが、スパゲティナポリタンです」
このようにいくつかの段階を経て、日本独自の洋食文化は成長していった。
しかし、’60年代が舞台の『ひよっこ』でも、ヒロイン・みね子がその高額さに困惑したとおり、洋食は庶民にとって、まだまだ高嶺の花だった。
「うちの創業当時のメニューを見ると、チキンバスケットが800円。いまでいえば約1万円です。洋食が一般化していったのは高度成長期に入ってからだと思います」