「弟はなぜひとりで死んだのか?」コロナ放置死遺族の真相を探る旅に密着
画像を見る 弟の遺影とともに、思い出を振り返った(写真:今泉真也)

 

■弟の死をきっかけに改善されたルール

 

2022年11月30日。来沖2日目の朝、高田さんの姿は、那覇市の保健所にあった。この旅のもうひとつの目的、〈なぜ弟は放置死したのか〉その理由を聞くためだ。

 

「現場の方を責めたいんじゃない。ただ本当のことを知りたいだけなんです」

 

職員と面会を終えた高田さんは「お話が聞けてよかった」と涙ぐみながら、次のように語った。

 

「弟がコロナに罹患した当時、『逼迫したなかで電話がかけきれず、積み残してしまった。緊急性の高い人が漏れてしまった』。職員の方は、そう涙ながらにお話ししてくださって……」

 

善彦さんが他界した当時、医療機関で検査を受けてコロナ陽性が判明すると、指定感染症法に基づき医師が保健所に届け出。その後、保健所が患者本人に連絡を取り、健康観察する流れだった。

 

本来なら、患者本人と丸一日連絡が取れない場合、職員が自宅を訪問して安否確認するはずだったが、当時、沖縄では連日600人超の新規感染者が出ており、保健所は逼迫。陽性判明から3日目に職員が善彦さん宅を訪問したときには、時すでに遅かったという。しかし、善彦さんの死を境に、確実な変化も見られたという。

 

「弟が他界したあと〈悲劇を繰り返してはならない〉とすぐ体制を変えてくださったそうです。保健所の職員も増員され、〈連絡が取れない〉など緊急性の高い罹患者については、責任者が朝一でスタッフに声がけし、優先的に電話するようになった、と。きっと職員の方々もつらかったんやと思う。弟の死はむだじゃなかった……」

 

率直に話してくれたことがうれしかった。そして何より弟の死を教訓にしてくれていることが大きな慰めだった。

 

翌12月1日、高田さんは、善彦さんがPCR検査を受けた那覇市内のクリニックを訪ね、院長に当時の様子を聞いた。善彦さんには軽度の糖尿病で、ワクチンは予約表が届いたばかりで未接種だった。

 

「院長は、かかりつけでもない弟のことをよく覚えてくださっていて、〈デルタ株は急変する非常に怖いウイルスだった。優しそうな弟さんだったから、体調が急変しても、迷惑かけまいとして助けを求められなかったんじゃないか〉と。弟らしいと思いました。まさか自分が死ぬとは思っていなかっただろうし……。先生は何度も〈弟さんを助けられなくて申し訳ない〉と言ってくださって。当時の医療システムのなかでできる精いっぱいをしてくださったと感謝しています」

 

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