■「息子の命を無駄にはさせない」母が背負い続けた再発防止の使命
「自分の、みんなの命を守るため、安全への意識と責任を忘れないでほしい。そう願い、求め続けてきたのが『安全の碑』でした」
港区役所正面玄関の右手には、大輔くんの事故を忘れず、安全・安心の取り組みの継続を誓う「安全の碑」が設置されている。4月のまだ肌寒い夕刻、御影石が使われたその碑を清掃する正子さんの姿があった。
「毎日、仕事終わりにね。気づいたら1年がたっていました」
石碑の植え込みの土をならし、火バサミで雑草を抜いていく。塀と石畳の境目に生えた雑草まで、丹念に抜いている。遺族の正子さんと港区の清家愛区長らの臨席で除幕式が行われたのが’25年3月23日のこと。以来、清掃が日課となり、はや1年がたったのだという。石碑には、こう刻まれていた。
《市川(大輔)さんの命が失われたことは、区民の命を守る立場の区にとって痛切な戒めである。区は、安全・安心の取組に終わりがないことを心に刻み、二度とこのような事故が起きることがないよう、不断の努力を続けることを誓い、この碑を建立する》
港区は’18年、毎年「6月3日」を「港区安全の日」と定め、事故を風化させない姿勢を示した。正子さんはそれ以前から、国交省の「昇降機の適切な維持管理に関する指針」および「エレベーター保守・点検業務標準契約書」の説明会での講演で「再発防止の重要性・必要性」を訴えてきた。
「20年、足を止めずに来られたのは、奪われた息子の命を無駄にはさせないという強い思いからです。しかし、それでもエレベーターは、利用者の安全をいまも脅かしている──」
正子さんは「エレベーター事故の再発防止」を一心に訴え続けてきた。20年ものあいだ。しかしまだ「安全対策は多くのエレベーターでなされていない」と断言する。
’09年、新設のエレベーターへ戸開走行保護装置の設置が義務化された。設置率は調査が始まった’16年度の17.4%から’24年度には39.5%へと上昇している。
「国交省は、戸開走行保護装置の設置率が『4割まで増加した』と胸を張ることでしょう。ですが、既設の機器は義務化の対象外で、全国のエレベーター78万基中、47万基が未設置です。つまり60.5%のエレベーターが安全とはいえない状態で、いつどこで、息子のような事故が起きても、おかしくないんです」
その懸念は現実となってしまう。’25年2月、兵庫県神戸市で31歳の男性が転落死するエレベーター事故が起きた。その前年には宮城県仙台市でも事故があり、負傷者を出していたことがわかった。
「いずれの事故も、戸開走行保護装置の設置義務のない、既設エレベーターでした。だから、すべてのエレベーターに設置が必要と私たちは訴え続けているんです」
事故直後から正子さんの代理人である前川雄司弁護士が補足する。
「現在、実測データ等の記録や写真の添付は、年1回の定期検査にしか義務づけられていません。しかし日常の保守点検時や、不具合の対応時にも義務化し、全関係者が共有すべきなんです。これも急務だと、市川さんは訴え続けています」
それは遺族や関係者のみならず、広く国民が関心を持つべき重要な事項のはずである。つまり正子さんは、国民が共有すべき「公共の利益」のために、この20年活動を続けてきたのだ。大輔くんは生前、野球班の日誌にこうつづっていた。
《与えられた時間は、みな同じなのだから、その時間をいかに有意義に使うかだと思う。限られた一日という時間を、他人に優しく、自分に厳しくできるように、その一日が有意義であるように過ごして行きたい》
「安全の碑」にも刻まれた息子のメッセージが、今日まで母を活動に駆り立てる原動力だったのだ。
「エレベーターの利用者の安全が脅かされている状況を、16歳の命が伝えています。その状況をなくすことが、息子の命が生きる道だと信じて、私はそのために歩いているんです。だからやり切りたい。やり切るように歩き続けたい。それが、私のたったひとつの願いです」
そう言うと、正子さんは初めて、少しの笑顔を見せた。
《他人に優しく、自分に厳しく》
愛息の魂を抱いて、母は今日も一段ずつ歩を進める。
(取材・文:鈴木利宗)
画像ページ >【写真あり】高校の恩師や同期、赤とんぼの会メンバーなどが大輔くんへの思いを寄せた冊子には、彼自身の野球班最後の日誌も掲載(他3枚)
