高校卒業後、立川市の立川病院付属立川高等看護学院で学び、看護師資格を取得。
「さらに、それから賛育会病院付属の助産婦学校に通って助産師となったのは、やっぱり赤ちゃんが好きだから。そこにいるだけでかわいいし、いとおしい。私自身、当たり前のように赤ちゃんに囲まれて育ってきたわけですから、これはもう理屈じゃないんですよね」
その後、総合病院での勤務を経験したあと、1995年に理恵子さんは実家の森田助産院で働き始める。振り返れば、信念で突き進む母の姿に複雑な思いを抱きながらも、同じ道を選んだ自分がいた。
「ずっと『家なんか継がない』と言ってたのに、最後には引き寄せられたといいますか。
また当時、祖母のかね子が高齢で引退をむかえる時期でもあり、そこに私が入れ代わりで入ったという流れもありました」
当時の事情を、玲子さんは、
「娘は学生時代から『赤ちゃんと一緒にいられる仕事がしたい』というのだけは変わりませんでしたから、『じゃあ、母さんと同じ仕事しかないね』と話しました。実はかね子の母、つまり理恵子の曽祖母も横須賀でお産婆さんだったんです。ですから、あの子は助産師としては4代目に当たるんです。これには感慨深いものがありますね」
理恵子さんは、実家の助産院で働き始めてすぐに地元での活動も積極的に行い、行政とも連携して地域母子保健とも深く関わるようになる。
「もともと私自身が、『助産院の子』として地域に見守られ育ちました。まずは赤ちゃんを取り巻く現状を知ろうとして、新生児訪問や退院後の母親の生活を追っていくと、社会の変容とともに、出産や子育てに関して困ったり悩んだりしている人が実に多かった。当時は、環境汚染からくる母乳育児への不安などもありました。これらに対処していく活動が、産後ケア事業ともつながっていくんです」
一般の病院での勤務経験もあっただけに、助産院の特性もより明確になってきた。
「助産院では、大前提に“お産は病気じゃない”という考え方があります。心身を整えてのぞめば、まずはいいお産になる、ということ。病気も早めに見つけてすぐに対処し、同時に家族との連携も大事にして、リラックスしたなかでお産をする。
ですから、うちではふだんから妊婦さんだけでなく、ご主人や家族ともコミュニケーションを取ったり、妊婦さんとは会話はもちろん、必要なら足をさするなどしながら信頼関係を築いていく。自然に個別性も高くなります」
同時に、働き始めて知るのは、母の偉大さだった。
「経験に裏打ちされた、産ませる技術の高さはもちろんですが、お母さん方とのやり取りを見ていると、とにかく真っすぐに向き合いますから、技術より、単純に人として好かれているんです。だから、『最後は玲子先生にお願いしたい』という声も多い。私は娘ですから、当初は『へぇ、そんなにすごいんだぁ、うちの母さん』と感じていたこともありましたが(笑)。しかし、それこそいちばん大切な助産師の資質だと知り、今では私の一つの指針となりました」
74年の歴史を誇る森田助産院。「100年続く助産院」を目指し、玲子先生たちは今日も一人ひとりと徹底的に向き合っている。
【後編】都内で74年続く助産院 直面する出産数減少に「AIに相談して悩んでしまう夫婦が増えている」へ続く
画像ページ >【写真あり】365日24時間態勢で働いてきた、助産院2代目の玲子さん(他3枚)
