言わずと知れた名店。"昔ながらの東京ラーメン"と聞いて、どれだけ多くの人がこのお店を思い浮かべるだろう。抜けるように香る、かぐわしいスープ。無駄をきれいに削ぎ落とした、まさに引き算の完成形。「ラーメンって、ここまで研ぎ澄ますことができるんだ…」、素材も手間ひまも決して惜しまず、こだわり抜いて作られたことが、ひと口でわかる。高級感あふれる上品な一杯。創業昭和24年の老舗「春木屋」荻窪本店の中華そば(750円)。 これまで家族規模でのやりくり、地元の大衆店という立場でのれんを守ってきた方々の話を聞いてきたが、今回はひとつ、一杯の価値を徹底的に高めることでのれんを守ってきた、そんな老舗の在りかたを探ってみたい。 戦後の闇市、荻窪にまだ都電が走っていた頃、備えつけの屋台で「春木屋」は始まった。現在のJR荻窪駅から上る青梅街道沿いには4~5軒の店しかなかったが、のちに"ラーメン激戦区"と呼ばれるこの町。自然発生的にラーメンの店が増えていった。配給でモノがなかった時代、「"ナベカマどんぶりがあればできる"って始まったんだよ」…今から3年前に亡くなった創業者の今村五男さんはそう話していたという。兄の日本そば屋で修業し、中華そば「春木屋」を始めた五男さん。 現在の二代目・今村幸一さんは、そんな父が粉にまみれてそばを打つ姿や、毎朝広がるスープの匂いを当たり前のこととして育った。中学に上がる頃には店の手伝いを始め、「むしろごはんの方が好きだった」と笑うくらいに父の中華そばを食べた幸一さん。意外な言葉が飛び出す。 「でもあの頃のラーメンを今出したら、食べて頂けないんじゃないですか?」