屋台ホープ軒と日比谷のお客さんとの蜜月関係は15年続き、牛久保さんはたった3人で1日500食を売っていた。
「長く続けたけど、やめたくてやめたくて(笑)。夏は暑いから売れないし、大雨が降ったら畳まないといけないし、お巡りさんに注意されたらイタチごっこの繰り返しになるし…屋台は大変でしたよ」
マスコミ各社が移転し、NHKが渋谷に移転した昭和50年。牛久保さんは屋台を閉め、現在の千駄ヶ谷に店舗を構えることを決める。
「日比谷ではNHKと三井物産ビルの間で営業してたんだけど、三井のビルが過激派の爆弾テロに遭って。背中でドカーン!とやられたもんだから、これはいよいよやってられないって(笑)」
15年前に屋台を引き始めたのと同じ日付の1月20日、現在地でホープ軒は店舗営業を開始する。牛久保さん35歳。前の年には所帯を持っていた。車を停めて食べるには最高の立地条件だが“キラー通り”と呼ばれ、お店を出してもうまく行かないジンクスのある地での営業。
「屋台の時より楽になったか? ならなかったねえ(笑)。屋台の時は3人で回せたお店が、店舗になると6人必要になった」
屋台時代のお客さんは相変わらず、店に乗り付けた。店舗営業の3年目には牛久保さんは24時間営業まで始める。
「運転手さんもマスコミの人も、24時間年中無休で絶えず誰か働いている。屋台は1日中出すわけにはいかなかったけど、店を構えたとなったら、お客さんが働いてるのに、こっちが休んでるわけにはいかないと思った」
平屋だった店舗はビルになり、最初は与えられた屋号だった「ホープ軒」の商標登録もした。二代目となる息子さんも含め、15人の従業員が働く現在のホープ軒。これまでにもお店で修行した弟子が独立して、恵比寿「香月」や浅草「弁慶」といった人気店を立ち上げ、またかつてのホームラン軒創業者・難波さん一族が後に立ち上げた「ホープ軒本舗」にも牛久保さんはアドバイスをしてきた。