96歳の女医が励みにしてきた「戦死した夫からのラブレター」

「ごく普通の生活ですよ。ただ、いくつになっても自分のことは自分でしようと心がけてきた、それくらいですね」

張りのある声と瑞々しい肌つやから、どう見ても実年齢は想像できない。96歳の貴島テル子先生は、宮崎市で貴島小児科医院を開業して42年になる。先生が医師になったのは、26歳で戦争未亡人となり、手に職を得るためだったという。関西女子医学専門学校へ進み、’50年に医師国家試験に合格した。

「主人は航空士官でした。先の知れない任務ですから、結婚前は親の反対もありましたが、説得をして。結婚後も南方へ行ったりして、休暇が取れると帰ってくるような生活でした」

夫婦が暮らした日数は、全部合わせても75日。それでも、ここまで元気に暮らしてこられたのは、ご主人の政明さんから戦死する直前まで送られた、100通以上に及ぶ”ラブレター”があったから、と語る。達筆で綴られた手紙には『愛する照子へ』の言葉がいまも鮮明に読み取れる。先生はこれを大切に保管し、折に触れ読み返し、励みにしてきたという。再婚はまったく考えなかった、と言い切る。

「いっしょにいられた期間があまりに短すぎて、子供を授かることはなかった。それで医師になったとき、小児科を選んだんです。よそのお子さまも全員、自分の子みたいな存在で向き合えたらと」

ここまで元気に子供たちのために力を尽くせたのは、やはり亡き夫に守られてきたから、と貴島先生は考えているそうだ。

「泣いてばかりはいられない、と一念発起して、医師となってから、ずいぶん長いこと働いてきました。仕事を辞めると、自分がどうなってしまうかわからないから。なので辞めることは考えられませんね」

夫のラブレターを支えに、〝天職〟だという小児科医を続けることが、健康長寿の秘訣そのものであるようだ。

 

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