■人間が生きのびるために備えた「恐怖」と「嫌悪」
さらに、過剰なまでに虫を嫌う人の背景にあるのが、“感情の誤反応”にあるのだという。
「虫嫌いの人が、虫に対して抱いている感情は『恐怖』ではなく『嫌悪』だといわれています。どちらも人が生き延びるために備えられている感情です。『恐怖』は捕食者に対峙したり、危なかったり暗い場所で起こるもの。身体的な害を避けるために持っている感情です。一方で『嫌悪』は、感染症や病原体などを避けるために人が根源的にもっている感情とされています」
感染症を媒介する病原体は目に見えないもの。そんな命を脅かすものに接すると「嫌悪」という感情が働いて、その場から逃げようとする。人が感染症を防ぐために役立つように進化した感情なのだという。
虫嫌いの人が、虫と出くわしたときに抱く嫌悪の感情は、感染症などから身を守るものと同様のものなのだ。
「嫌悪という感情は、自己防衛としてとても大切なものです。とくにこのコロナ禍で、感染症を防ぐためにも重要です。とはいえ、現代の人が接する虫のほとんどは感染症とは直接つながらないものばかり。ゴキブリもたしかに不潔な環境に棲息しているかもしれませんが、病気を介する感染症のリスクが特に大きな虫ではありません。本来、私たちがもっている、感染症から身を守る嫌悪という感情が、都市化による急激な環境変化によって、誤反応を起こしていると考えられるのです」
なぜ誤反応を起こしてしまうのだろうか?
「よくわからないものを見たときは嫌悪する、逃げる。感染症から命を守るように、小さな虫を見ただけでも、過剰なまでに避けてしまうのです」
誤反応であれば、虫嫌いはそう大した問題ではないのだろうか?
「虫嫌いが増えてもいいのではないか──と思っている人は、けっこういると思います。しかし、虫は、人間が生きていくうえで非常にメリットが大きい存在。農作物においても、虫がいないと花粉の媒介ができません。人間がそれを代替するとなると大変な労力とお金がかかってしまいます。
世界中で都市化が進んでいて、まわりに生き物がいなくなってしまうと、世代を超えて、虫嫌いがどんどん増えていくことになるでしょう。単に『気持ち悪いから』という理由で排除していく可能性もあります。これは、地球全体の自然を考えた上では、いいことではない。生物の多様性を守るためにも、虫嫌いが増えないようにすることも大事だと思っています」
そう語る深野助教。虫を愛するあまりに、今回の調査を行ったと思いきや……。
「実は、ゴキブリは触れないし、虫が得意、というほどではありません。家族に女性が多かったため、家の中で虫が出ただけで大騒ぎする家で育ちました」
虫嫌いがいるのはいい。しかし、一線を超えて、排除しようとするような虫嫌いを減らす方法はないのだろうか。
「虫嫌いを克服する必要はありません。ただ、都市部に住んでいて、虫嫌いだった人が、IターンやUターンなどをして田舎に暮らすことで、虫への嫌悪感がなくなった人も多くいます。また、子育てしているお母さんのなかには、子供たちが虫を捕まえてきても、嫌な気持ちを我慢して、子どもを虫嫌いにさせないようにしている人も少なくありません。人間と虫が共存する優しい世界につながるヒントがあるような気がします」
セミの鳴き声も止み、これから秋の虫の鳴き声が響く季節になっていく。虫を毛嫌いしている人も、一度なぜそうなのか自分に問いかけてみてはどうだろうかーー。