大阪府の豊中市と吹田市を南北に走り、大阪メトロ御堂筋線と直結する北大阪急行電鉄。3月23日から北に約2.5km延伸し、「箕面船場阪大前駅」と「箕面萱野駅」の2駅が新設される。
大阪の北摂エリアが変革を遂げようとするなか、千里ニュータウンにある“とある沿線の駅名”に注目が集まっている。
きっかけは、あるユーザーがXで呟いた投稿。御堂筋線の終着駅「千里中央駅」(豊中市)から北東に約2km離れた場所には、阪急千里線の終着駅「北千里駅」(吹田市)がある。
北千里駅の次は「山田駅」「南千里駅」「千里山駅」と続くが、山田駅だけ“千里”の名称がついていない。そのため、このユーザーは“山田駅の名称は「千里駅」であるべき”と疑問を呈していた。
“千里とばし”を指摘したこの投稿に、《北千里で仕事する時ずっと思ってた》《目から鱗的な面白さです!!》《知ってる人には面白い》と共感の声が続々。また《急に山田が割り込んできた感www》とツッコむ声や、《何か過去の経緯があるんですかね笑》と様々な反響が寄せられている。
そこで本誌は2月27日、山田駅の管轄である阪急電鉄株式会社の広報部に駅名の由来を取材(以下、カッコ内は担当者)。しかし残念ながら、駅名の詳しい由来は明らかにはならなかった。
ただ、担当者は「詳しい資料は残っていない」としつつも、「もともとすごく昔から、この辺りは『山田』という地名だったんですね。現在残っている当時の資料でも、『吹田市山田地区に交通の拠点を』という言い方をしていました。おそらく地名にちなんだ駅名にしたのではないかと思います」と語った。
確かに山田駅のある吹田市が誕生した背景には、1955年に「三島郡山田村」が編入された歴史がある。その上で担当者は、山田駅ができた経緯や背景を教えてくれた。
千里ニュータウンは、日本で初めてできた大規模住宅都市。高度経済成長期の人口増加に伴い、1961年に大阪府の企業局によって開発された。1970年には吹田市で日本初となる万国博覧会が開催され、会期中は約6422万人が来場。北千里駅では万博開催に備えて、1967年の開業と同時に世界初となる自動改札機が導入された。
「実は万博が開催された当時、北千里駅と南千里駅の間に『万国博西口駅』という臨時駅があったんです。いまの山田駅から300mほど北側にあり、万博に訪れる人のための駅でした」
大勢の来場者が利用した万国博西口駅は、万博の閉幕とともに廃駅に。だが一部住民からは「常設駅にしてほしい」との要望もあったようで、1973年に現在の山田駅ができたという。また前年の1972年に、万博の娯楽施設を受け継いだ遊園地「エキスポランド」が開業したことも大きかったようだ。
「山田駅を作ろうってなった時には、千里ニュータウンもほぼ完成してきており、住民も増えていました。当時はまだ周辺にモノレールもできていなくて、エキスポランドの近くに駅がなかったんです。都市開発が進んできたことと、エキスポランドができたことで需要が高まり、『お客様にとって便利だな』という考えから現在の場所に山田駅が新設されました」
なお現在の山田駅は大阪モノレールと直結しており、「万博記念公園」まで一駅。2009年に「エキスポランド」は閉園したが、現在は跡地にできた日本最大級の大型複合施設「エキスポシティ」に多くの人々が集っている。たとえ“千里”を冠さずとも、地域で暮らす住民を長く支えているようだ。