「いまの日本では、生きていることのストレスが過重にかかり、心も酷使されています。常に何かに追われる日々のなか、どこに人生の軸があり、なぜ生きているのかといった根本的なことを見失いがちな人も多いでしょう。こうしたメンタルのひずみが、がんの原因にもなっているのではないでしょうか」
そう語るのは、江原啓之さん。7月15日、国立がんセンターは、’16年に新たにがんと診断される人が初めて100万人を突破するという予測結果を発表した。また、がんのために亡くなる人も’16年は37万4,000人と、過去最高になる見込みだという。
スピリチュアリストとして「いかに生き抜くか」という人生哲学を伝え続けてきた江原さんは、これまで多くのがん患者たちの相談を受け、またその最期を見守ってきた。
「スピリチュアズムの視点で見ると、『長く生きること=幸福でいい人生』とはとらえません。人生は長く生きたから幸せというのではなく、短い人生であろうともいかに充実させて生きたかが重要です。私がいつも話すことは、人は死して死なないということ。たましいは永遠なのです。ですから『死=不幸』『死=敗北』ではなく『がん=悪』でもありません。これまでがんと関わってきて、いま私が言えることは、病いを忌み嫌ってはいけないということ。病気から学ぶべきことは山ほどあります。病いになったことで、それまで築いてきたことを失ったという人もいるでしょう。けれどそこで初めて自分の人生において大切なことは何かが見えてくるということはあるのです」
江原さん自身が“がんという病い”と初めて向き合うことになったのは14歳のとき。母が胆のうがんになったのだ。結局、母は宣告から6カ月後に他界した。
「『あなたは18歳までは周囲に守られて生きられる。けれどそれからはつらくとも独りで生きなくてはならない。だから周囲の人を大切にして生きるように−−』、そう母は言い残したのです。先ほど私は『病気から学ぶこともある』という話をしましたが、母との別れにより、『人はなぜ生きるのか』『なぜ人生はままならないのか』『なぜ病気になるのか』といったことに、より深く興味を持つようになりました。この経験がなかったら、いまの仕事をしている自分もなかったと思います」
母との別れ以来、すでに40年がたつ。縁あってか多くのがん患者たちと対面してきた江原さん。若くしてがんに侵されながら、人生を終えた2人の女性との出会いは特に印象深いという。その1人が、ある企業で女性総合職1期生としてバリバリ働いていたA子さんだった。A子さんが訪ねてきたとき、すでに全身をがんに侵されている状態だった。
「彼女に、人は亡くなるとき、もっともかわいがってくれた人があの世からお迎えに来るという話をしました。彼女にとっては、それが祖父で“お祖父ちゃんにまた会える”という思いで、死ぬことへの不安や恐怖が消え、安心感を持ってくれました。しかし、彼女の死を受け入れられなかったのはむしろご家族でした。お母様は『きっと克服できる!』と信じて激励し続けました。そのため彼女は家族のために治療を頑張るしかない状況でした。人はみな生まれてきたら、必ず死んでゆくものです。A子さん自身はそれを受け入れていたのに、家族は受け入れることができなかった。家族の存在が、A子さんが旅立つときの心残りになってしまったのです。もちろん激励が大切なケースもあると思いますが、“ときには家族が安らかな旅立ちを邪魔することもある”ということを、A子さんのおかげで知ることができました」
もう1人、江原さんにとって大きなものを残してくれたのは絵のコレクターをしていたB子さんだった。
「彼女も30代という若さで他界してしまったのですが、自分の余命を知ってからは、やり残したことに本当に精力的に取り組んでいました。作りたかった画集を手がけ、私の初期の作品で文庫の『スピリチュアルブック』を美しく製本してくれて、それを私はずっと大切に保管しています。事故などの突然死と違い、患ってなくなるということには、最後まで自分のやるべきことをできる幸せもあるのです」
B子さんはその後、江原さんの勧めた病院の緩和ケア病棟で最期を迎えた。そしてモルヒネの量を調整し、「意識がはっきりしたまま逝きたい」との希望をかなえたという。
「不思議なものですね。周囲に感謝している人は、モルヒネをそれほど打たなくても、あまり痛まないそうです。B子さんが安らかに逝ったのは、彼女は感謝の気持ちが強かったからかもしれません−−」