「黒田官兵衛(1546~1604)は豊臣秀吉の軍師として、幾多の敵城を落とし、また大坂城などの築城の名手として有名です。また一面、たいへんな倹約家であり、その節約術は現代でも教わるものが多いんです」

 

と、話すのは歴史研究家で『黒田官兵衛のことがマンガで3時間でわかる本』(明日香出版社)の著者・津田大愚さん。官兵衛が生涯、節約を旨とした理由を津田さんはこう解説する。

 

「官兵衛の祖父は金策のため、家伝の目薬を作って売っていました。これで儲けた金を地元の農民に貸し、返せない農民をみな家来にしたのです。このように黒田家の家系は商売人。秀吉に仕えるようになったのちも商人としての経済観念が官兵衛にはあった。それが金はムダに使わず、いざというときのために取っておくという哲学です」

 

官兵衛はある日、貧しい家臣が大きな鯛を白木の立派な箱に入れて献上しにきたところ、「鯛はうれしくいただくが、白木の箱は誰かに売って、それで武具を整えよ」と命じた。またある家来が菜っ葉を献上した際は、周囲が「なんと無礼な」と怒るのを尻目に「よい、金は武具を買うのに使え」と諭したという。

 

津田さんは、「官兵衛、倹約家であったけれどケチではない。その精神をいまに生かしてもらえば、賢い節約ができるはず」という。それでは、官兵衛の“倹約哲学”を、津田さんが解説する6つのエピソードとともに学んでいこう。

 

【1 リサイクルの達人となれ!】

「官兵衛は自分の物をあまり長く使わずに、すぐに家臣に払い下げていた。当時の武将は家臣に報奨のひとつとして、自分の武具などを譲ったものだが、官兵衛の場合はそれがひいきにならぬよう家臣から金を取ったとも言われる」

 

【2 短・中・長期で貯蓄目標を!】

「軍師として城攻めを任されていた官兵衛は、次の戦いの局面(短期)、兵糧攻めなど年月をかける戦いの局面(中期)、最終目標である天下取り(長期)と、常に時間軸を念頭に置いて戦の備えをしていた」

 

【3 実益を兼ねた趣味を持て!】

「秀吉に仕えた官兵衛は、千利休に茶を学び囲碁をたしなんだ。初めは『茶の湯は武士がやるものではない』と金のかかる趣味を毛嫌いしていたが、利休をはじめ茶の席には“最新の情報”があると、その実益に気付いたのだ」

 

【4 食料確保がすべての基本!】

「兵糧攻めの名人だった官兵衛だからこそ、自分が城を築く際は『もし兵糧攻めにあったら』ということを想定しながら設計した。たとえば、大坂城の堀の内側にはたくさんの菜園を設けて、兵糧攻めに備えたという」

 

【5 住まいはエコ志向で!】

「官兵衛が大坂城を建てた場所は信長が攻め落とした摂津・石山本願寺跡。城は本願寺の石を再利用して建てられた。また福岡城は天守閣を造らず櫓で代用。庭も当時の大名としては質素で、見栄を張るようなことはなかった」

 

【6 葬式は簡素でいい!】

「1604年、自分の死期を悟った官兵衛は、家臣の栗山善助を呼んで『葬式に金をかけるな、仏事に専念してしまわず、国を治め、民を安んぜよ』と命じる。最後まで倹約家であることを貫いた官兵衛らしい遺言だった」

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