おやじさんの死の前後、店員たちは独立。一人残っていた番頭さんも出ていき、小林さん一人になった「福寿」。「ずっと店閉めてたんだけど、表そうじしてたら『お前いつまで閉めてんだ? 商人がいつまでも休んでんじゃねえぞ!』って。お客さんにそう言われて、“やんなくちゃいけないのかな?”ってさ」仕込みを手伝っていた“お袋”さんの知恵を借り、小林さんはひとりで二代目「福寿」を始めた。「1人で300食、5〜6時間で。その頃はまだお冷やも1杯ずつ出して、いらっしゃいませ、ありがとうございますも全部言っていたから。とにかく動けるだけ動いた。働けるだけ働いた」。鬼のような仕事ぶり。それまで店でしていたことが全部役に立ったという。「日大のアメフト部の合宿所があって、そのピークの1時間がオヤジのメシ時でね。席が全部埋まる混雑だったけど、この時だけは店を任されてた。僕一人で何十人相手にメチャメチャになってるんだけど、どんなに忙しくてもオヤジは知らん顔してるわけ(笑)。今思えば、あそこでオヤジが手伝ってたら、一人で店はやれなかっただろうね」もうひとつ、店を続けられた秘訣が“掃除”。55年間そのままというカウンターを始め、清潔に手入れされている店内。古びているのに、傷みは少ない。「食べ物屋は油との戦い。掃除ばっかり長いことやってたもんでさ(笑)。もしこの店を一人で続けるなら、掃除のできる俺だと思ってた。毎日の掃除、リセットが、できなくなったらアウトだね。1日終わったら一度チャラにして、毎日ケジメをつけていく。それを怠るとちいさな誤差が重なって、商売は潰れていくと思う」