5ドルカレーでNYに勝負をかける女社長の「細うで繁盛記」
国内で42店舗を展開するB級グルメの金沢カレーチェーン店「ゴーゴーカレー」は、ニューヨークでも2店舗を運営している。黄色い看板にゴリラのイラストが目印。現地法人「ゴーゴーカレーUSA」の社長を務めるのは、日本人女性の大森智子さん(38)。彼女は「5ドルカレー」で世界一の街のランチを制すべく現在奮闘している。彼女の全力投球の生き方と「ニューヨーク細うで繁盛記」を紹介しよう。
大森さんは’73(昭和48)年6月、石川県七尾市で生まれた。中学生のころ、映画『カラーパープル』を見たことと、交換留学で米国へ行ったことが重なり、米国で演劇を学びたいと思うようになる。高校卒業後、カリフォルニア州・モントレーのペニンスラカレッジ演劇科へ進んだ。その後はロサンゼルスの演劇学校のミュージカル科、ニューヨーク・ブロードウエー72丁目の演劇アカデミーを経て、’93年に初舞台へ。オフブロードウエーでのデビューは、日本の新聞でも報じられた。その後も少しずつ仕事をステップアップしてゆくが、お金が底を突き、米国内のNHKのスポーツ番組制作会社のアシスタントに。「いつでも演劇に戻れる」を口癖に、全米を飛び回る日々が始まった。
しかし、知人の紹介で知り合ったレストランマネジャーの小泉聡之さん(41)と結婚し、一旦は専業主婦に。32歳だった。その後、夫の勧めで、日本食を紹介する雑誌社の広告担当として再就職。2年後にはトップの成績を上げ、新雑誌の統括責任者となる。それが’07年5月。くしくも同じ年の5月5日にゴーゴーカレーUSAの1号店がニューヨークにオープンしたのだった。もちろん大切な営業先として、大森さんは日本からやってきた宮森宏和社長(38)のもとに、真っ先に駆けつけた。その後、宮森社長の相談相手となった大森さん。そして昨年秋、2号店以降の全米進出責任者に宮森社長が白羽の矢を立てたのが大森さんだった。
「うぬぼれではなく、これをやれるのは私しかいない。そう思いました」という彼女は、社長に就任。それからは2号店に合う物件を探すべく100件以上も見て回った。いかついマフィアのような大家に「ジャパニーズの女社長だって? お前には貸せない」といわれたことも。物件以外に、資金調達も課題だった。なぜ本社を頼らなかったのだろう?
「だって、最初に宮森社長から『社長の仕事はまず資金集めでしょ』と言われていたので。ああ、そうなんだと思い込んでいましたから。冷蔵庫1台買うのも、自分のクレジットカード限度額まで使って、不足分を建て替えたりもしていましたね……。私らしさは何かと言えば、日々を一生懸命に送ることでした。そうですね、それこそ、ひたすら汗をかくこと。それを教えてくれたのも、またニューヨークだったんです」
2号店はニューヨーク大学の学生街に3月15日に開店。スタンダードなカレーが1杯5ドル(約394円)と、市内の物価からするとお手頃価格のゴーゴーカレー。しかし、1号店がある界隈は、すぐ隣にチャイニーズの食堂、反対側に1枚1ドルのピザ、ドーナッツ店やカフェテリアと、飲食店のライバルがひしめいている。じつはニューヨークは今、空前のラーメン・ブーム。このブームも、仕掛けから5年ほどかかって実現したものだという。次はカレーかと、期待もかかるが……。
「そのためにも、なるべく早く、ウォール街にも出店します。1杯5ドルの日本のカレーで、世界一の金融街のランチを制覇したい。さっき、エンパイアステートビルに空き物件が出そうだと電話がありました。エンパイアっていえば、あの映画のキングコングが登ったビルでしょう? そこに、ゴリラがトレードマークのゴーゴーカレーが出店、いいじゃないですかぁ」
そう語る彼女は、女社長となってまだ半年足らず。これからが正念場だ。しかし彼女には、プレッシャーはあるが気負いはない。日々、全力投球で前に進むだけだから、自分らしく。