■どんなふうに死にたいか考えたことはない
そう語る齋藤さんも、40歳で漫画家デビューという異色の経歴を持っている。
「静岡県の富士宮市に育ちました。高校生のころから『不幸せでもいいから、退屈ではない人生を送りたい』と思って、短大進学を機に上京しました」
英語学校で、教科書や授業で使用するスライドのイラストを描く仕事をしていた。
「職場の人脈で、浅野八郎さんという占い師の本で、手相の絵を描いたりしていました。ところが40歳くらいになるとイラストの仕事も減ってきて……。営業もせずに、ぼーっと仕事が来るのを待っているようなタイプでしたが“さすがにこのままじゃマズイ”とあせって、食べていくために漫画を描いてみたんです」
“退屈しない人生”を選んだ結果、40歳で小学館の新人コミック大賞に輝き、遅咲きの漫画家デビューを果たしたのだった。以来「なんとか漫画家で生計を立てられています」という。
いまでも漫画はアシスタントを頼まず、一人で作品を描きあげる。
「自分のペースで執筆しているため、『ぼっち死の館』では、不定期連載というかたちでした。絵を描くのは楽しいんですが、その前のネーム(物語の構成を含めた下書き)を書くのがいちばん大変だし、苦しい作業です」
第2話を描き終え、第3話のネームを練っている途中で、齋藤さんは脳梗塞で倒れてしまった。
「床がフワフワと揺れだして立っていられなくなりました」
バタンと倒れたときには、死を覚悟したというがーー。
「この年齢ですし、死は身近だったので怖いという感覚はありませんでした。“連載中の漫画が描けなくなったら、担当編集者に迷惑をかける”なんてことも、まったく考えない(笑)。むしろ“このままダメ出しされたネームを描かなくていいかも。すべてから解放されるし、死ぬのも悪くない”って思いました。だから、病院に行かずに、わざわざ1日様子を見たんですね」
幸い、大事には至らず、退院直後こそ文字を書くこともままならなかったが、半年ほどかけて体調が戻り、作品を完結することもできた。そして現在、次回作を執筆中だという。
「どんなふうに死にたいか、考えたことはありません。そもそも猫が死ぬときもそうですが、死ぬ前は1週間ほどは苦しむもの。人生を振り返る余裕なんてないはず。いずれにしても、やりたいことしかやってきていないし、使いきれていない財産があるわけでもありません。だから、この世に未練はないんでしょうね(笑)」
深く悩まず、自由気ままに生きれば、死を恐れることもなく、穏やかな最期を迎えられるのだろう。