■挑戦的な商品開発で黒字転換…朝食作りから大ヒット商品が
辞めていった職人もいるが、空中分解しなかったのは、山下さんという要が残ってくれたからだという。
「山下さんは先々代のころに来はって、大奥さんからすごくかわいがってもらったそうです。祖母は当時生きていたので、山下さんは『ご恩があるから、大奥さんの目の黒いうちは、恩返しせなあかんのや』というのが口癖でしたね」
次に着手したのが商品開発だ。既存の商品に、由依子さんのアイデアを加えようと製造部に行くのだが……。
「山下さんは『なんや、また来たんか』『あんたが来たら忙しくなるからいやや』とつれない感じ。でも、それが挨拶のようなもので、話はちゃんと聞いてくれて。やさしくはないけど、丁寧にお菓子のことを教えてくれました」
良和さんも“京都の老舗はこうあるべき”というこだわりは一旦横に置き、自由な発想を取り入れるように。パリでパティシエとして活躍した藤田怜美さんと出会い、「サトミフジタ」ブランドを作った。
「常連さんはどう見はるやろと不安もあったし、従業員からも賛否がありました。でも和菓子にクリームチーズやチョコレート、キャラメルを使うなんて当時は画期的で、メディア取材が増えて話題になったんですね。さらに主人は病気を機に、精製された砂糖を使ったお菓子が食べにくくなってしまったため、健康を意識したお菓子を開発。今までの亀屋良長を否定するのを避けるため、吉村和菓子店という別ブランドを立ち上げました」
もう一つの大きな改革は、パッケージだ。
「可もなく不可もない今までの無難な路線ではトキメキがなかった。中身はおいしいから、手に取ってもらえれば売れると思って。自分が手にしたくなるポップでかわいいパッケージデザインを、京都のテキスタイルブランドSOU・SOUさんに作ってもらったんです」
次々と新商品を考えるものの、会社の未来に不安もあったが、打ち合わせのとき、SOU・SOUの社長の「200年の歴史はお金を出しても買えない。良質の水もあるし、全然いけますよ!」という言葉が希望となった。
こうした改革に着手して、なんとか黒字経営に転換。子育てとの両立で多忙な日々を送っていたが、常に和菓子のことは頭にあった。だからこそ、ある日、子供たちの朝食作りでピンと来た。
「甘いものが好きじゃない長男には、パンにスライスチーズをのせて焼いていて、次男には焼いたパンにあんこを塗ってとリクエストされたんですが、あんこは硬いから塗るのが面倒くさいと思って」
そこから着想を得たのが、スライスチーズのようにあんこを薄くシート状にして、パンにのせて焼ければ便利だなという商品。試作して次男に試食してもらっても、試作品ごとに「甘いなー」「あんこの味がせえへん」とダメ出し。
「最初は北海道の小豆で試作していたんですが、小豆の香りが強い丹波大納言に変更。小豆の価格が4倍もしました。しかも大粒なのがウリなのに、すりつぶすというぜいたくな使い方をしました」
2018年、着想から4カ月ほどで販売にこぎつけた「スライスようかん」は、コロナ禍の窮地を救ってくれる最大のヒット商品となった。
「びっくりするくらい売れました。まだ借金は残っているものの、なんとか返済のめどはつきました」
渋々ながらも由依子さんに愛情深く寄り添い続けてくれた山下さんは、今年4月に79歳で勇退してしまった。
「お別れの会も花束も、照れて絶対に断ると思っていたので、普通に送り出しました。最後に『メディアの取材では悪者みたいに言ってしまってすみません』って謝ると、『わしはそれでええんや』って許してくれて。山下さんには感謝しかありません」
これからは若手職人が中心になって、亀屋良長をもり立てる。
