■「目標から逆算して毎日を過ごしている高校生に初めて会いました」
この騒動で朗希の名は全国に知れ渡った。’19年秋のドラフトでは、1位指名で4球団が競合。ロッテの井口監督(当時)がくじを引き当てた。後日、指名挨拶に向かうと、朗希は「開幕で投げるためにはどうすればいいですか。トレーニングメニューをください」と話した。
「驚きました。目標から逆算して、毎日を過ごしているのだなと。そんな高校生には初めて会いましたし、意識の高さを感じました」(井口さん)
ロッテで捕手としてボールを受けた吉田裕太さん(34)が語る。
「そのオフ、アメリカに自主トレに行ったら、スポーツジムで向こうのマイナーの選手から『佐々木朗希がロッテに入るんだろ?』と聞かれました。海を越えて知られているんだと驚きました」
翌年1月、選手寮に入寮する際、朗希はチームメイトの寄せ書きの入ったユニホームを持参。「今までやってきた仲間の思いも忘れずに部屋に飾りたいなと思いました」と話した。
「本当にうれしかったです。そういうヤツなんですよ」(柴田さん)
優しい一面を持つ高校生は、実力でも群を抜いていた。春季キャンプで初めてブルペンに入ると、大勢の先輩が見学にやってきた。
「あんなボールは見たことなかった。ピストルみたいな速さでした。投げたら『パンッ!』ってすぐ届くイメージです。(打者として対戦した)大谷翔平の真っすぐよりも、速く感じました」(吉田さん)
高校3年生のボールに圧倒されたプロの猛者たちは「これだけ毎日走って、毎日投げ込んでも、18歳のコに軽く抜かれた。もうピッチャーやめていいですか?」などと冗談まじりに嘆いたという。
だが、1年目の朗希は右ヒジの故障もあり、登板なし。一軍に帯同しながら、練習だけに励んでいた。毎日、間近で接していたトレーニングコーチの菊地大祐さん(46)が話す。
「彼は思いっきり投げたら、肩やヒジが壊れるかもしれない感覚を持っていました。だから、その出力に耐えられるだけの体づくりをする必要がありました」
ほかの選手が試合に合わせ調整するなか地道な日々を送っていた。
「二軍の若手と同じメニューをしていました。たとえば、横にいる一軍選手がダッシュ10本なら、彼は20本走っていました」(菊地さん)
成長期の子どもにある骨端線がまだ残っていたため、球団はウエートトレーニングをさせず、投げ込みも禁じた。
「走って心肺機能を高めたり、腹筋や背筋など体幹を鍛えたり、基本トレーニングを徹底的にしていました。毎日、たった一人で同じことを繰り返す。しんどかったと思います」(菊地さん)
いちばん年下の朗希は積極的に雑務をこなした。
「みんなより早くグラウンドに来て、ドリンクなどの準備をしていましたね。トレーニングが終われば、率先して器具を片付けますし、試合後は荷物をまとめる。若手の当たり前の仕事ではあるのですが、しっかりやってました」(菊地さん)
18歳の少年は、頼れる大人に本音をもらすときもあった。
朗希「早く投げたいです」
菊地「気持ちはわかる。でも、長い目で見て、今できることをしっかりやろう」
朗希「やっぱ、そうですよね」
「すごく賢い選手なので、すぐ冷静になりました。毎月1回、筋肉量やジャンプ力などのデータを測るのですが、1年後の目標数値を3カ月でクリアしていました。彼には『メジャーで一番のピッチャーになりたい』という夢があった。そのために、今すべきことを考えられる選手なんです」(菊地さん)
チームのなかで、朗希はどんな存在だったのか。吉田さんが話す。
「1年目はみんな気を使っていたし、触れづらい空気があったんですよ。でも、2年目の途中からは普通になじんでましたね。『彼女いんの?』とプライベートの質問もされてました。そのときは、『いません』と答えてましたよ」
野球に真剣に取り組む一方、天然ぶりも発揮していた。
「試合前のロッカールームは緊張感にあふれているし、先発投手は特にピリピリしています。そんな張り詰めた空気のなか、朗希は電動歯ブラシで歯を磨きながら、チョロチョロ歩いていたそうです(笑)。(先輩投手の)唐川(侑己)さんが『俺、怒ったわ』と言ってました。
ふだんは、すごくいいコですけどね。遠征から新幹線で東京駅に戻ってくると、寮生はバスで一緒に帰ります。でも、朗希は『タクシー乗ったらダメですか?』と普通に言ってました(笑)。まあ、ピッチャーはちょっと変わったタイプのほうがいいんですよ」(吉田さん)
2年目の’21年5月、朗希は甲子園での阪神戦でプロ初勝利を挙げる。ヒーローインタビューでウイニングボールをどうするか聞かれると、「両親に渡したいと思います」とサラッと口にした。母の陽子さんは感涙した。
《うれしくて、号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのが、本当にうれしかったです。援護をしてくれた先輩方に感謝です》(「スポニチアネックス」’21年5月27日配信)
あの日から10年たっても、朗希の心の中には父・功太さんが生きていた。
「ふだんから父のことを考えていないと、すぐに“両親”なんて出てこないですよ。親思いのコなんです。(理不尽な父の死に)納得できない気持ちを今も抱いているでしょうし、仕事は違ってもお父さんの分まで頑張ろうと心の中で誓っているはずです」(戸羽さん)
(取材:長冨俊和、岡野誠/文:岡野誠)
【後編】「“3年後でいいだろ”と気軽に言えない」佐々木朗希 ロッテのトレーニングコーチが明かす「メジャー挑戦が早かった理由」へ続く
画像ページ >【写真あり】大船渡高校3年生の秋、ドラフト1位指名されたロッテとの契約交渉の席へ、最愛の母・陽子さんとともについた朗希(他5枚)
