都内で74年続く助産院 直面する出産数減少に「AIに相談して悩んでしまう夫婦が増えている」
画像を見る 助産院で生まれた赤ちゃんを囲んで。前列左が森田玲子さん、前列右が今村理恵子さん(撮影:高野広美)

 

出生数を増やす妙案について、玲子さんはこう話す。

 

「私は数年前から、理恵子たちも出た地元の中学校で、卒業前の“命の授業”を行っています。そこでは、これから社会の一員としてやっていく以上は自分の与えられた命を伝えていくこと、命をつなぐことも大切で、『10代のころから考えてほしい』と話しています」

 

同じく理恵子さんは、

 

「若い世代からは『自分に人を育てるなんてできない』という声をよく耳にします。でも、完璧な親なんているでしょうか。今は選択肢も多いだけに、選ぶなら完璧でなきゃと考えがちなのでは。私たち町の助産院としては、まずは子供を産み育てることに興味を持ってもらうことから始めたい。

 

妊娠期間中に『不安です』と訴えていたご夫婦が、出産から半年ほどして、『こんなに子供好きになるなんて思いませんでした』と言うのを聞くと、ああ、一緒に歩んできてよかった、と心から思います」

 

70年以上前から、地域の母子たちと、幾多の産声と共に積み重ねてきた森田助産院の歩みは、創設100年に向けてこれからも続く。

 

「昨年10月に夫が亡くなって、ずっと一人暮らしです。この春、次男の娘、つまり私の孫が看護師として働き始めたのも、うれしい出来事でした。お産は、女性にとって生涯に数回しかない貴重な体験。私も元気なうちは、一人でも森田助産院で産みたいという人がいる限り、現場でお手伝いしたいと思います。

 

ただ、私の助言は今の若い人には厳しすぎる面もあるようで、娘からは『ちょっと黙ってて』と言われることも(笑)。でも、大切なことは遠慮せず伝えていきますよ」

 

玲子さんが、助産院に隣接する自宅キッチンで語る。現在、玲子さん、理恵子さん母子と一緒に3人目の助産師として働くのが、高橋江梨子さん(46)。

 

「私自身が4人目の子を玲子先生に取り上げてもらったのですが、初対面のときから妊婦としてだけではなく、一人の人間として自分を見抜かれたことに感動し、まるで魔女のような人だと思って(笑)。自分もいつか助産師になりたいと思い、40歳で資格を取りました。

 

今は理恵子さんが、なんとか助産院をこの地に残そうと寝る間も惜しんで奮闘しているので、一緒に頑張りたいという気持ちです」

 

その理恵子さんは現在、日本助産師会の副会長の要職にもある。

 

「助産院を100年続けるには、高橋さんのさらに次の世代の助産師を育成する必要がありますが、今は助産師学校自体が減っている現状もあります。嘆いてばかりもいられませんから、助産師を目指す学生の研修も受け入れています」

 

森田助産院は東京都助産師会の研修を受け入れる8つの協力機関の1つでもあり、母親と赤ちゃんを対象にしたボランティアイベント「もりっこサンクスデイ」でも助産師志望の大学院生が母親たちをサポートしていた。

 

最後に理恵子さんは、

 

「子供が育つ喜び、人が親として成長していく過程を近くで見せていただけることに幸せを感じられるので、ここまで助産師として続けられたと思います。

 

こんな時代に、うちの助産院に来ようと思う時点で、お母さん、お父さんたちは、既に一歩を踏み出しているんですよね。その思いに、今後も応えていきたい」

 

一人ひとりの出産の悩みに徹底的に寄り添い、元気な産声とぬくもりに触れてきたからこそできるケアが、今こそ求められている。“命のバトン”を100年つなぐ森田助産院の奮闘を見守りたい。

 

画像ページ >【写真あり】今年4月に森田助産院の和室で誕生した赤ちゃん(他2枚)

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