「もう70代ですから、年齢のせいもあるでしょうが、それ以上に、ここ2年のコロナがいちばん影響しました。ジム以外で体を動かすことがすっかりなくなって、やっぱり運動不足がちとなり、血圧も高くなったし、体重も増えて、膝関節痛にも苦しんでいます。
しかし、今も治療に行ってきたばかりなんですが、信頼する整体の先生のお蔭で痛みも収まりつつありますし、体調も気力もバッチリ。このまま来年の世界大会での20連覇を目指します」
快活な笑顔が、ショートヘアによく似合う。主婦で、元八王子市職員の澤千代美さん(72)は、50歳で始めたベンチプレスで現在、世界大会19連覇という偉業を達成中の“70代女性の星”。孫が3人いるおばあちゃんでもある。
今年10月、リトアニアで開催された「世界ベンチプレス選手権大会」で澤さんが挙げたバーベルの重さは100kg! 70歳以上のクラスでの世界記録だった。
ベンチに仰向けに横たわった状態でバーベルを押し上げるベンチプレス競技は、上半身を引き締める効果もあることから、日本では人気のあるトレーニング法としても知られる。
とはいえ、女性が重いバーベルを持ち上げる姿というのは、まだ一般的ではないかもしれない。20年以上前に澤さんがベンチプレスを始めたきっかけも、実はダイエットだった。
「49歳のときでした。職場の定期健康診断で『太り過ぎ』と言われたんです。若いころからソフトボールやバレーボールに親しんでいましたが、その頃は、ずっと子育てもあったりでスポーツから遠ざかっていたので、これはマズイと思って、職場の仲間と近くにあったキックボクシングジムに通うことにしたんです。当時流行っていたボクササイズですね」
同時にダンベルを使った筋トレも行っていたが、ふと隣で男性がやっていたベンチプレスに目が止まった。
「スポーツは何でも大好きでしたから興味はあったんですが、当初は『女性だから』という理由だけで、やらせてはもらえませんでした。そこへ、たまたま知り合いだった男性トレーナーがやってきて『やってみる?』と。で、軽い気持ちでチャレンジしたら、いきなり50kgが持ち上がったんです」
驚いたのは、周囲の筋肉自慢の男性競技者たちだった。
「女性で、しかも初チャレンジで50kgを持ち上げるなんてスゴイ!」
こうして、澤さんのベンチプレス競技との、長い“格闘”の歴史が始まる。
「とにかく自分もみんなも、『あんな重たいものを持ち上げられるわけがない』と思っているバーベルが挙がったときの達成感が忘れられなくて。ボディビル雑誌でベンチの大会があることを知り挑戦したいと思い、その後、すぐにウェイトトレーニング専門のジムを探して入会しました」
澤さんを突き動かした好奇心とチャレンジ精神。そして、それらを後押しする抜群の運動神経は、少女時代からのものだったようだ。
1949年(昭和24年)11月11日、兵庫県西宮市出身。
「子供の頃は、まあ、お転婆でしたね。両親が4歳のときに離婚して、東京・日野市の祖母に引き取られました。中高ではソフトボールの選手でした。ポジションがレフトというのは、肩が強かったんですね。そうそう、中3では、前の東京オリンピックで聖火ランナーも努めたんですよ。
20歳で結婚して、翌年には長女が、続いて長男も生まれましたが、その後もソフトも続けましたし、ママさんバレーでは日野市の強豪チームのメンバーでした」
27歳のときに、八王子市役所入庁。市立保育園の調理の現場で働き始めた。
「給食のおばちゃんです。子供も大好きで、本当に充実した職場でした。今お話ししたとおり、そこで20年以上働き続けていたときの健康診断で、太り過ぎと言われてベンチを始めるんです」
秘められていた才能は瞬く間に開花し、競技を始めて1年ほどで、まず全日本ベンチプレス選手権大会で優勝して日本代表に。そして01年、ルクセンブルクでの「第1回世界ベンチプレス選手権大会」で、50代の「マスターズ2」に出場し、95キロを挙げて優勝。
こうして初代チャンピオンとなって以降、今年の第19回大会まで、負けなしで記録を更新している。そのほとんどが世界新記録だ。
「あの頃でしたよね、初めて『女性自身』さんで取材してもらったのは。私の記事の載った雑誌は今も大事に保管してますよ(笑)」
18年前の本誌記事のタイトルは『うちの“給食のおばさん”は世界一の力持ち』。当時、八王子市内の保育園に勤務し、身長148センチ、体重67キロの体躯を白い調理服に包んだ澤さんが、54歳にしてベンチプレスの世界大会で連覇を果たしたことを報じていた。記事の最後には、こうあった。
<最低60歳までは挑戦し続けたいですね>
「まさか、70過ぎても続けてるなんてね(笑)。でも、調理の仕事をしていた当時は、やっぱり仕事が最優先でした。ベンチを始めた当初はジムにも週3回通っていましたが、やがて週1に減らしたんです。というのも、20とか30kgものプレート(鉄の円盤状の重り)を扱いますから、指でもケガしたら、給食を作れなくなるでしょう。ベンチの世界大会に行くとなると、1週間はお休みすることになります。だから、普段は職場に迷惑をかけるのだけは、絶対にしたくなかったんです」
責任感の強い人柄が伝わる。こうして主婦、調理員、そして競技者として3足のわらじを履きながらの生活は続き、04年には世界大会で自分の体重よりはるかに重い120.5kgを挙げ、新記録達成とともに、その名を国内外に轟かせた。
常に1位で表彰台のいちばん高い所に立っていた澤さんだが、両脇の2位と3位の外国人選手と並ぶと、頭の位置がほぼ横並びで同じになる。それほど、体格の優れたライバルをも寄せつけない底力を誇っているのだ。