部屋の隅に丸裸の死体が山積みに…100歳の宝くじ売り場店主が“シベリア抑留”から切り開いた壮絶半生
画像を見る 1965年、サントリーの佐治敬三社長(当時・写真右)は「丸源酒店」を訪問。二人は地元のサントリー会などで長く親睦を深めた

 

■営んでいた酒店にサントリーの佐治敬三社長が訪れて。経営者としての道しるべに

 

戦後の経済成長期と重なったこともあり、源じいの酒販業は拡大の一途。1970年に店の前で撮影された写真には当時の従業員と源じい夫妻が並ぶ。

 

「ちょうどこの直前ですね。サントリーがビール事業に乗り出したものの、後発のため、キリン、アサヒ、サッポロの3社を前に苦戦していたんです。そのサントリーの若い営業さんが私のところに来て『なんとかサントリービールを扱ってくれませんか?』というので『社長が頼みに来てくれたら考える』と生意気な返事をしたんですよ。そうしたらほどなく、本当に当時の佐治敬三社長が店にやって来て。それは驚きましたが、武士に二言はありません。それ以来、私の店ではサントリービールをメインに扱うようになりました(笑)」

 

このときの佐治社長との出会いは、源じいの経営者としてのよい道しるべとなった。それがいまの宝くじ売り場にも受け継がれている。

 

「なんでも社長の私からやる。率先垂範ですね。お客さんへの笑顔の挨拶から、掃除、『ありがとうございます』の言葉まで、私が手本にならないといけません」

 

バブル景気がはじけた1990年後半になると、源じいの酒販業にも陰りが見えてきた。このとき、宝くじに活路を見いだしたのも、源じいの“第一感”だったという。

 

「佐治社長から教わったことのひとつに、サントリーの創業者・鳥井信治郎さんの言葉である『やってみなはれ』精神がありましてね。1998年に藤枝市のはずれの畑の中にこの売り場を出したのも、まさに『やってみなはれ』。まわりに建物がないから、とにかく看板が目立つというのが“第一感”でした。その狙いが当たって、開店からすぐにお客さんが来てくれるようになったんですよ」

 

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